伏見郷
ふしみごう
「和名抄」にはみえない。天慶三年(九四〇)三月二三日の穂浪郡司解案(東大寺成巻文書/平安遺文一)、同年四月五日の源敏施入状案(同上)に「伏見郷高田村」がみえる。「和名抄」の摂津国西成郡伏見郷の訓「布之美」(東急本・元和古活字本)を参考にし「ふしみ」と読む。前記の伏見郷高田村に所在した家地などが施入されて成立した観世音寺(現太宰府市)領高田庄は、現穂波町高田付近に比定される。
伏見郷
ふしみごう
「和名抄」にはみえないが、既に「日本書紀」雄略天皇一七年三月二日条に「俯見村」としてみえる。しかし郷名として古代に記録されているのは久我家文書(保安三年一一月二四日付右京大夫宅牒案・保安四年四月二六日付右京大夫宅牒案)に「伏見郷三宅戸里十三坪一町」とあるもののみである。郷名を負う伏見寺(即成院)、伏見陵(嘉楽門院信子墓)などがある。
郷域については、「扶桑京華志」は「伏見郷 在深草ノ南鳥羽ノ東」としている。前掲久我家文書には深草郷と併記されているからその近辺であることは疑うことはできないが、公的行政区画としての伏見郷の存在は確認できない。
伏見郷
ふしみごう
「和名抄」東急本は「布之美」と訓じている。当郷に関する古代史料はない。「日本書紀」には同訓の地名として大和国の伏見(垂仁天皇九九年一二月条・安康天皇三年八月条)、山背(城)国の俯見村(雄略天皇一七年三月条)があるが、当郷との関係は不明。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
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