プロ野球選手(投手:右投右打)。横浜大洋ホエールズ(1993年から横浜ベイスターズ、2012年から横浜DeNAベイスターズ)、大リーグ(メジャー・リーグ)のシアトル・マリナーズ、2004年(平成16)からふたたび横浜ベイスターズでプレー。フォーク・ボールを武器とし、「大魔神」の異名をとった名抑え投手(クローザー)。
2月22日、宮城県に生まれる。東北福祉大から1990年(平成2)、ドラフト1位で横浜大洋ホエールズへ入団。1年目から16試合に登板して2勝4敗、セーブ2を記録し、1991年にはセントラル・リーグ最多の58試合に登板した。1995年に32セーブで初タイトルを獲得。以降、1998年まで4年連続セーブ王となった。とくに、1998年は1勝1敗、45セーブで日本のシーズン記録を更新し、防御率0.64、投球回56で奪三振78の好成績を残すとともに、チームを日本一に導いて最優秀選手(MVP)にも選ばれた。1999年は右肘(ひじ)を手術して後半戦を棒に振った。オフにFA(フリーエージェント)となり、マリナーズに移籍。2000年は2勝5敗、37セーブで新人最多記録を樹立する活躍をみせ、チームのプレーオフ進出に貢献し、新人王となった。2001年にはイチローが加入して新人王とMVPを同時受賞し、佐々木も45セーブをあげ、マリナーズが歴代最多タイ記録のシーズン116勝をマークして地区優勝する原動力となった。2002年も37セーブを記録したが、2003年は故障でシーズン途中で約2か月間、戦線離脱。2004年1月にマリナーズを退団し、同年、横浜ベイスターズに復帰。2005年は右肘の手術で長期離脱となり、シーズン途中で引退を表明した。
日本での12年間の通算成績は、登板試合439、投球回627と3分の2、43勝38敗、セーブ252、防御率2.41、奪三振851、完投0、完封0。獲得したおもなタイトルは、最優秀救援投手5回、MVP1回、ベストナイン1回。大リーグでの4年間の通算成績は、登板試合228、投球回223と3分の1、7勝16敗、セーブ129、防御率3.14、奪三振242、完投0、完封0。獲得したタイトルは、新人王。
[山下 健]
出典 日外アソシエーツ「367日誕生日大事典」367日誕生日大事典について 情報
宇宙事業会社スペースワンが開発した小型ロケット。固体燃料の3段式で、宇宙航空研究開発機構(JAXA)が開発を進めるイプシロンSよりもさらに小さい。スペースワンは契約から打ち上げまでの期間で世界最短を...
12/17 日本大百科全書(ニッポニカ)を更新
11/21 日本大百科全書(ニッポニカ)を更新
10/29 小学館の図鑑NEO[新版]動物を追加
10/22 デジタル大辞泉を更新
10/22 デジタル大辞泉プラスを更新