佐喜浜浦(読み)さきのはまうら

日本歴史地名大系 「佐喜浜浦」の解説

佐喜浜浦
さきのはまうら

[現在地名]室戸市佐喜浜町 浦・根丸

佐喜浜さきはま河口南岸を中心に海岸沿いに形成された集落で、江戸中期以降北岸の根丸ねまるにも漁業集落が発展し浦分に加えられた。古く河口は入江状をなしていたらしく、一キロほど河口をさかのぼった地に舟場ふなば地名があるのは、古い舟着場の名残と思われる。「土佐日記」承平五年(九三五)一月二二日に「よんべのとまりより、こととまり(他泊)をおひてゆく。はるかにやまみゆ」とみえるが、この室津むろつ湊を出て最初に泊まった「よんべのとまり」を佐喜浜とする説もある(現安芸郡東洋町の甲浦・野根などの説もある)。当時の湊については不明であるが、その後室戸岬を中心とする隆起運動と佐喜浜川の土砂の旺盛な堆積作用入江消滅、舟着場は河口に移動したと考えられる。中世の佐喜浜浦について直接知る史料はないが、兵庫津(現神戸市)に入港した文安二年(一四四五)一年間の船について記した「兵庫北関入船納帳」に、佐喜浜に船籍のある船が三艘記され、いずれもが一〇〇石から二〇〇石積である。荷品が材木である点も注目される。

「元親記」によれば天正三年(一五七五)の佐喜浜合戦の折、付近にえびす堂があったというから、恵美須社を祀る漁業集落ができていたことが考えられる。伝承によれば合戦の後、長宗我部軍は勝ちに乗じて住民を皆殺しにしたが、浦人のなかから力の弱そうな者二〇人を残して水主としたという。同一七年の佐貴浜村地検帳には一名の上乗と一九名の水主が給人として記されている。上乗又兵衛の給地内に御材木倉があり、材木積出港として、また岬東最初の避難港として、佐喜浜が一定の役割を担っていたことがわかる。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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