佐沼要害跡(読み)さぬまようがいあと

日本歴史地名大系 「佐沼要害跡」の解説

佐沼要害跡
さぬまようがいあと

[現在地名]迫町佐沼 内町

西は佐沼市街地から栗原郡若柳わかやなぎ町への道、東はあら川と迫川との合流点。栗原郡の東端(現登米郡)にありながら登米・栗原・本吉もとよし牡鹿おしか諸郡への交通の要地で、河川利用の便もある。しかし西を除く三方は迫川などの流れにまかせた氾濫地帯で、近世初期に治水工事が行われるまでは、皆無に近い生産力で、軍事的には重要でも、居住には不適であったと思われる。鹿しかヶ城とも称するが、築城およびその後の歴史は明らかでない。「封内風土記」によれば「往古秀衡家臣、照井太郎高直所居也、後土御門帝、文明之比、佐沼右衛門佐平直信居之、後奈良帝、天文以来、大崎家臣、石川四郎右衛門直村入道法山、(中略)四世相継居之」とあり、藤原秀衡の時、すでに城があったとするが、真偽のほどは疑わしい。南北朝期に「顕家卿御陣破れて。日和山の城に下り寺池之城佐沼城を築き」とあり(葛西盛衰記)、北畠顕家戦死の延元三年(一三三八)前後には存在したと思われる。観応三年(一三五二)三月日の某軍忠状(大石寺文書)に「佐沼橋本」での合戦が記されている。「伊達正統世次考」長享二年(一四八八)正月条によれば、佐沼城主らの離反により大崎氏の家中は大いに乱れたが、伊達尚宗の援助により佐沼城を抜くことにより、義兼は再び大崎氏の主に復した。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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