佐須郡・佐須郷(読み)さすぐん・さすごう

日本歴史地名大系 「佐須郡・佐須郷」の解説

佐須郡・佐須郷
さすぐん・さすごう

佐須郡は南北朝期より江戸時代中期にかけてみえる郡で、対馬八郡の一つ。江戸時代中期以降は対馬八郷の一つとして佐須郷と改める。佐須川の流域にあたり、現美津島みつしま町・厳原いづはら町にわたる。下流地蔵壇じぞうだんに七世紀初頭とみられる横穴式石室を築いた古墳群があり、優勢な古勢力が想定される。「延喜式」神名帳の下県しもあがた郡一三座の一つとしてみえる銀山かなやま神社・銀山しろかねの上神社に比定される古社が鎮座し、佐須川流域は古代の対馬銀山の主産地である。また「日本後紀」弘仁三年(八一二)正月五日条に対馬島下県郡佐須浦とみえるなど、古代の枢要の地でありながら、「和名抄」に郷名がみえず、下県郡の諸郷を比定していくと当地域が大きく空くので、玉調たまつき郷を充てる説(日本地理志料)賀志かし郷を久根くね(現厳原町)まで延ばすという説などがある(大日本地名辞書)。しかし与良よら郷と同様に「和名抄」からの脱漏と考えれば、下県郡の郷域比定は無理のないものとなる。対馬では平安中期以降に郷の政庁を院と称し、観音を安置したと伝えるが、当地には佐須院観音堂が現存し、平安後期の千手観音像がある。寛仁三年(一〇一九)の刀伊の入寇では「銀穴焼損」という事態となり、殺害された人一八人、追取られた人一一六人という被害を受けている(「小右記」同年六月二九日条)

〔佐須郡〕

正和元年(一三一二)「佐須郡内くねの村おやき」の栗林などが「佐須郡くんし」の「たん三入道西蓮」の領知とされた(同年八月一〇日「某下知状写」一宮峰夫文書)

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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