余川村(読み)よかわむら

日本歴史地名大系 「余川村」の解説

余川村
よかわむら

[現在地名]六日町余川

川窪かわくぼ村の南、東は八幡やわた村、南は小栗山こぐりやま村、西は君帰きみがえり村。枝村は金家かなや。村内を平手ひらて川が流れ、八幡村で魚野うおの川に注ぐ。六日町村から三国街道を分岐して十日町(現十日町市)へ至る八箇はつか峠越の道が通る。天正九年(一五八一)二月一九日付の浅間宗忠宛上杉景勝執達状(上杉年譜)に「与川郷」とある。正保国絵図に「余河村」高五六〇石余のほか、余河新田高一二〇石余がみえる。


余川村
よかわむら

[現在地名]婦中町余川

井田いだ川中流右岸に隣接し、東は田屋たや村、井田川の西対岸に余川新村がある。地名はかつて井田川がより西を流れており、当地をその支流が流れたため、余川と称したという(婦負郡志)。また洪水を避けるための除川からともいう(肯泉達録)田屋村の枝村である(婦負郡志)正保郷帳では中島なかじま村とともに上井沢かみいさわ村の内と記される。承応四年(一六五五)の村御印では草高三五四石余、免二ツ三歩四厘、小物成銀一〇匁九分二厘、蔵入五一石余のほかは青山逸角など一三人の知行地(村々御印物等書上)。享保六年(一七二一)の高一二七石余(「村付高改帳」島倉家文書)。寛政二年(一七九〇)の古高一四四石余・定免四ツ九歩、新田高六四石余・平均免五歩余、小物成は鮎川役四匁・鮭川役一三匁一分三厘・川原役六匁九分二厘・柳指役二匁(高物成品々手鏡)


余川村
よかわむら

[現在地名]武生市余川町

鞍谷くらたに谷口にあり、池泉いけいずみ村の東方に位置する。地名は文明六年(一四七四)大滝おおたき(現今立郡今立町の大滝神社)宛の神領寄進状(大滝神社文書)に「越前国与河郷」とみえるのが早い。慶長一一年(一六〇六)頃の越前国絵図では今南東いまなんとう郡の「余河之郷」(高一四三四・三八二石)に含まれる。正保郷帳以降余川村としてみえ、田方六〇〇石余・畠方一二一石余。貞享三年(一六八六)福井藩領より幕府領となり、元禄五年(一六九二)から一時期、当時の大坂城代土岐頼殷領となったが、享保六年(一七二一)以降は鯖江藩領。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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