大滝神社(読み)おおたきじんじや

日本歴史地名大系 「大滝神社」の解説

大滝神社
おおたきじんじや

[現在地名]今立町大滝

権現ごんげん(大徳山)の麓に鎮座し、山頂に奥院(上宮)がある。祭神伊邪那美いざなみ尊・天忍穂耳あめのおしほみみ尊。旧県社。境内には古木や老樹が繁茂する。大滝児権現社とも、小白山大明神ともよばれたが、明治八年(一八七五)現社号となった。

〈近江・若狭・越前寺院神社大事典〉

〔創祀と大滝寺〕

安永四年(一七七五)の大滝村氏神由来(当社文書)によれば、養老三年(七一九)泰澄が当地を訪れ、山を大徳山と名付け、大滝児大権現を奉祀し、山頂には地主神の川上御前を中心として数町西方に大杉を、東方の別山に梅咀麗那仏を祀り、山下には講堂護摩堂などを建立し、釈迦や毘沙門・不動像を安置したと伝える。中世には大滝寺と称し、平泉へいせん(現福井県勝山市)末寺として栄えたという。文明年間(一四六九―八七)の大滝寺々庫収納田数帳(同文書)によると、当時寺領田地約一六町、収納年貢は約二一〇石であった。同帳には粟田部あわたべ柏尾かしお(現西樫尾)野岡のおか山室やまむろ長五ちようごしま杉尾すぎお貞友さだとも(定友)新在家しんざいけ岩本いわもとなどの地名がみえ、近郷の信仰の中心となっていたことがうかがえる。

大滝神社
おおたきじんじや

[現在地名]大竹市白石一丁目

みや山とよぶ丘陵の先端に鎮座。祭神は湍津姫命。旧村社。もといやさこ田中たなかにあったことから田中明神とも称する。神主所家の先祖は、厳島神を厳島へ導し厳島神社を創建したという佐伯鞍職と伝える。その子孫は所姓を称して代々弥ヶ迫に住し、文禄(一五九二―九六)頃まではここから厳島神社へ渡海してその社務も勤めたという。慶長年間(一五九六―一六一五)に同家の嫡男は居を厳島に移して当社の神主職を兼ね、次男は弥ヶ迫にとどまり大治おおじ神社神主と当社の「守護」を勤めることとしたという(国郡志下調書出帳)。なお建治三年(一二七七)五月六日付佐伯助広処分状(所文書)によれば、当時厳島神社の陪従兄部職と左人長職を兼帯している。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

事典・日本の観光資源 「大滝神社」の解説

大滝神社

(滋賀県犬上郡多賀町)
湖国百選 社/寺編」指定の観光名所。

出典 日外アソシエーツ「事典・日本の観光資源」事典・日本の観光資源について 情報

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