キリスト教最古の信仰告白として知られる〈ローマ信条〉(2世紀後半)にもとづいてつくられたもので,早くから公同の信条として用いられてきた。ことにプロテスタント教会にとっては,ほとんど唯一の公同のものとされている。〈使徒的〉と称するのは使徒の権威がこれに帰せられたためで,全部を12節に分け,十二使徒がそれぞれの節を書いたという伝説すらある。しかし神,キリスト,聖霊についての3項から成ると見るのがよく,キリストについては受肉・受難・復活・最後の審判と,救済史的順序でややくわしく展開され,そしてここに主観的なものが含まれていないことが特徴である。文語訳による全文は次のとおりである。〈我は天地の造り主,全能の父なる神を信ず。我はその独り子,我らの主,イエス・キリストを信ず。主は聖霊によりてやどり,処女マリヤより生まれ,ポンテオ・ピラトのもとに苦しみを受け,十字架につけられ,死にて葬られ,陰府(よみ)にくだり,三日目に死人のうちよりよみがえり,天にのぼり,全能の父なる神の右に坐したまえり。かしこより来りて,生ける者と死ぬる者とを審きたまわん。我は聖霊を信ず。聖なる公同の教会,聖徒の交わり,罪の赦し,身体のよみがえり,永遠の生命を信ず。アーメン〉。
執筆者:泉 治典
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キリスト教会はきわめて初期のころから、弁証と教育のために信仰の内容を表現するうえで簡単な定式を用いていた。『新約聖書』のなかにすでにそのような信条の萌芽(ほうが)をみることができる(「コリント書」15章3以下など)。現在の使徒信条はガリアで5、6世紀にできたものであるが、その元となる古ローマ信条は2世紀の中ごろにまでさかのぼる。異端的な教えが発展するにつれて、この信条が真のキリスト者を不信者や異端者から区別する「しるし」となるところから、この信条に対してシンボルムsymbolum(象徴)ということばを使うようになった。伝承された本文は次のごとくである。「我は天地の造り主、全能の父なる神を信ず。我はその独り子、我らの主、イエス・キリストを信ず。主は聖霊によりてやどり、処女マリアより生まれ、ポンテオ・ピラトのもとに苦しみを受け、十字架につけられ、死にて葬られ、陰府(よみ)にくだり、3日目に死人のうちよりよみがえり、天にのぼり、全能の父なる神の右に座したまえり、かしこより来りて生ける者と死ねる者とを審(さば)きたまわん。我は聖霊を信ず、聖なる公同の教会、聖徒の交わり、罪の赦(ゆる)し、身体(からだ)のよみがえり、永遠の生命(いのち)を信ず。アーメン」
[野口 誠]
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…しかし人間の側から見ればさまざまの宗派が対立していても,それは神によって保証された〈信仰は一つ〉(《エペソ人への手紙》4:5)という現実を破壊するものではない。 いま〈使徒信条〉と呼ばれるキリスト教の基本信条の最古の形態をよりどころに論述を進めると,まずキリスト教信仰の全体の枠組を確定するのは,見えるものと見えないものすべての創造主,宇宙を造り主宰すると同時に歴史の支配者である神に対する信仰である。この神はたんに畏怖すべき絶対的権力者ではなく,イエスが数々の譬え(とりわけ〈放蕩息子〉の譬え)で示したように,〈父よ〉と呼びかけることのできる愛とあわれみの神である。…
… 信条が単なる洗礼用の便宜的な定式から教義の根幹を規定する権威ある定式となると,それは典礼のなかに取り入れられた。西方教会では上述の〈ニカエア・コンスタンティノポリス信条〉のほか,〈使徒信条〉と〈アタナシオス信条〉(この三者を〈基本信条〉と呼ぶことがある)を洗礼および典礼で用いた。〈使徒信条〉は,使徒たちが作成したものと信じられていたが,実際の起源は不明で,この名が現れる最古の例は4世紀末のアンブロシウスの書簡である。…
※「使徒信条」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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