俵町(読み)たわらまち

日本歴史地名大系 「俵町」の解説

俵町
たわらまち

[現在地名]大垣市俵町

大垣城の南に位置する町家地域で、美濃路の両側町。北と西を外堀、南を竹島たけじま町南総堀(牛屋川)が限る。東は竹島町。大垣城南口より南下する美濃路は右折してやなぎ口に至り、左折してきよう口を経てふな町に入る。町名は大垣藩領内より上納する米俵が京口を経て当地を通ったことに由来する(新修大垣市史)。永禄六年(一五六三)までは大垣城松の丸の地域で、沼波玄古や松井喜右衛門などの居住地(藤渠漫筆)、同城拡張に伴い天正期(一五七三―九二)に町家となった古来町の一つで、初め伊勢いせ町と称する。


俵町
たわらまち

[現在地名]姫路市西二階町にしにかいまち福中町ふくなかまち

姫路城南西の外曲輪に位置する町人町たて町の西でほん町の南にある東西の町筋。慶長六年(一六〇一)の町割で成立。初め大和やまと町と称したが慶安元年(一六四八)松平(結城)大和守直基が姫路藩主となり、官職をはばかって改称したという。慶安二年―寛文七年(一六四九―六七)の侍屋敷新絵図に町名がみえる。姫路町書上帳、元文五年(一七四〇)の姫路町飾万津町地子銀控によれば家数四五・地子銀六二〇匁余。宝暦一〇年(一七六〇)には両替商房屋勘五郎が幕府巡見使の接待に当たっている(新版「姫路市史」)


俵町
たわらちよう

[現在地名]金沢市中央通町ちゆうおうどおりまち

下伝馬しもでんま町の北西端、法船寺ほうせんじ町の北東口から北番に延びる通りを挟む両側町。大野庄おおのしよう用水分流を横断し、北西は改作かいさく町、南東塩川しおがわ町、南西は茶木ちやのき町に接する。もと下伝馬町内にもかかわらず、むしろ法船寺町の一部とみなされ、また同町名でよばれるようになったため、文政六年(一八二三)俵町として下伝馬町から町立てした。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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