日本歴史地名大系 「美濃路」の解説
美濃路
みのじ
- 愛知県:総論
- 美濃路
江戸時代、中山道と東海道を結ぶ五街道脇往還として道中奉行の配下に置かれていた道。駅次は七宿があった。「五駅便覧」によると東海道
平坦な土地を通るが木曾川(起渡)・
美濃路
みのじ
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
江戸時代、中山道と東海道を結ぶ五街道脇往還として道中奉行の配下に置かれていた道。駅次は七宿があった。「五駅便覧」によると東海道
平坦な土地を通るが木曾川(起渡)・
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
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出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報
出典 日外アソシエーツ「事典・日本の観光資源」事典・日本の観光資源について 情報
…海上旅行になれぬ者のため宮宿から脇往還佐屋路宿が分かれ川下りで桑名に達した。中山道と東海道を結ぶ美濃路も宮宿から名古屋を通り起(おこし)宿で木曾川を越え美濃墨俣宿に至り垂井宿で中山道と結んだ。吉例街道ととなえ大通行の将軍上洛や朝鮮通信使,琉球使節の通行をはじめ13藩の参勤交代に利用された。…
…それらの管理は初期には代官また老中なども関与していたが,1659年(万治2)以降は道中奉行を置いて専管させた。道中奉行の管理下にあったのは,東海道(品川~京都・大坂),中山道(板橋~守山,次の草津で東海道となる),日光道中(千住~日光),奥州道中(宇都宮~白河),甲州道中(内藤新宿~上諏訪,次の下諏訪で中山道に結ぶ)の五街道のほか,東海道と中山道を結ぶ美濃路(熱田~垂井),東海道の脇街道というべき佐屋路(熱田~桑名),本坂通(浜松~御油または吉田),山崎通(伏見~山陽道の西宮),中山道と日光道中を結ぶ例幣使道(倉賀野~壬生(みぶ)通の楡木へ),日光道中の脇街道というべき日光御成道(岩淵~岩槻を経て日光道中の幸手へ),壬生(みぶ)通(日光道中の小山から分かれ,飯塚,壬生等を経て日光道中の今市へ)がある。また千住から新宿(にいじゆく)・八幡(やわた)・松戸を経る水戸佐倉道はこの3宿だけが道中奉行の管轄であった。…
…しかし1185年(文治1),源頼朝が駅制を定めて京都・鎌倉間の交通路の整備をはかったので,交通路としての東海道は近江,美濃,尾張,三河,遠江,駿河,伊豆,相模を通過するこの幹線道路をさすようになった。この道を平安時代,すなわち《延喜式》に記載された東海道と比較すると,まず鈴鹿峠を越える伊勢路が,関ヶ原を越える美濃路に変更されていること,また足柄峠を越えたのち相模国府(海老名(えびな)市)より武蔵国府(府中市)にむかって内陸部を進んでいた道が,海岸沿いに鎌倉へ直行するようになったこと,さらにより鎌倉への近道となる芦ノ湖南岸の箱根路,湯坂道が,従来の北の足柄道と同等に利用,整備されるようになったこと等がおもなちがいである。室町時代の京都・鎌倉間は《大乗院日記目録》(応仁2年(1468)12月15日条)によれば,その間120余里,63宿ある。…
※「美濃路」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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