傍示村
ほうじむら
[現在地名]交野市傍示
寺村の東方山中、大和との国境にある小村。大和側高山村(現奈良県生駒市)の垣内名にも傍示があり、これを東傍示、当地を西傍示と通称する。地名の傍示はもと
示と書き、当地を含む山城石清水八幡宮寺領三宅山と大和鷹山庄(現同上)の境に位置することから四至を示す
示が立てられたことに由来すると考えられる。当地から竜王山を越えて大和に通ずる道を峡崖越(道)というが、大和側からは傍示越とよぶ。「河内志」に「傍示越和州添下郡界至御茶屋一里十一町、御茶屋至枚方三十二町」とある。
傍示村
ほうじむら
[現在地名]上勝町傍示
現町域の北東部に位置し、南は福原村・瀬津村と接する。北に高鉾山などが連なり、梅木谷川・傍示谷川が流れる。南部に清水山がある。寛永(一六二四―四四)前期のものと推定される国絵図に「はうじ村」、寛永一五―一八年頃の作製と推定される阿波国大絵図では「傍示村」と記される。正保国絵図では勝浦山坂本村のうちと考えられ、「勝浦山の内 傍示村」とみえる。
傍示村
ぼうじむら
[現在地名]佐賀市兵庫町大字若宮字傍示
巨勢川の東にあって北は下九郎(九郎名)村、南は野中村。上佐賀上郷の南と接しており、堀の多い佐賀平野の景観の北限である。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
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