僦馬の党(読み)しゅうばのとう

日本大百科全書(ニッポニカ) 「僦馬の党」の意味・わかりやすい解説

僦馬の党
しゅうばのとう

9世紀末の坂東(ばんどう)諸国で「強盗」として蜂起(ほうき)した駄馬輸送業者集団。899年(昌泰2)9月の太政官符(だいじょうかんぷ)(『類聚三代格(るいじゅうさんだいきゃく)』)にみえる。当時、坂東諸国の「富豪の輩(やから)」で駄馬をもって物資運送に従事する者は、駄馬の略奪を事とし、東山道(とうさんどう)の駄を盗んで東海道で使い、東海道の馬を掠(かす)めて東山道に赴き、1疋(ぴき)の駄馬のため百姓(ひゃくせい)の命を害し、ついに群党を結んで凶賊となったという。こうして坂東諸国の追討を受けた党類が東海・東山道方面に逃走するのを封じるため、相模(さがみ)国(神奈川県)足柄(あしがら)坂と上野(こうずけ)国(群馬県)碓氷(うすい)坂に関を設け通行者の検問を行うことが命じられている。当時頻発した東国の群党蜂起の事例で、承平(じょうへい)・天慶(てんぎょう)の乱の一前提となった。

戸田芳実

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山川 日本史小辞典 改訂新版 「僦馬の党」の解説

僦馬の党
しゅうばのとう

9世紀末~10世紀初めに坂東方面の東海・東山両道に出没した強盗集団。僦馬とは雇馬の意で,駄馬を徴発することを意味する。僦馬の党は駄馬を奪って運輸業者として荷物の運搬にあたるとともに,強盗事件をおこしていたという。政府は碓氷・坂本両関を固め,取締りをきびしくして鎮圧をめざしたが,賊は追及を免れ,10年余にわたり東国の治安を乱した。10世紀前半におこった平将門の乱の先蹤(せんしょう)をなす事件と評価されることがある。

出典 山川出版社「山川 日本史小辞典 改訂新版」山川 日本史小辞典 改訂新版について 情報

世界大百科事典(旧版)内の僦馬の党の言及

【上野国】より

…一方《延喜式》によると9ヵ所の御牧から毎年計50頭の馬が貢進され,さらに官馬45頭が飼育されており,朝廷・中央政府の必要とする馬の供給地でもあった。9世紀には,国内に馬を雇って物資を運送する業者の集団である僦馬(しゆうば)の党が横行し,その活動範囲は東海道にも及んで,物資の輸送にも支障が生じ律令支配の根幹を揺るがせた。このような私的な馬を介在とした武力の伝統は,要地に位置することと相まって坂東における武士団の形成に影響を与えた。…

【関所】より

…三関は789年(延暦8)7月停廃され,それに伴い他の関の勘過機能も消滅していったが,それ以後も重大事発生の際は三関の固関は行われ,また特に辺境の軍事的関は存続したようである。それとともに強盗をなす僦馬(しゆうば)の党の取締りのために,899年(昌泰2)相模国足柄(あしがら)関,上野国碓氷(うすい)関を置いたように,特定の事件,状況に対する治安維持策として軍事的機能をもつ関の新設がなされたが,一般的な交通制限は行われず,全体として古代の関の制度は形骸化していった。【館野 和己】
[中世]
 令制下の古代の関や江戸幕府による近世の関所はいずれも軍事警察上の必要から設置された。…

※「僦馬の党」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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