日本歴史地名大系 「西山寺」の解説 西山寺さいさんじ 静岡県:榛原郡相良町西山寺村西山寺[現在地名]相良町西山寺菅(すげ)ヶ谷(や)川左岸の台地の麓付近にある。医王山と号し、高野山真言宗。本尊は薬師如来。天長二年(八二五)弘法大師の創建と伝え、本尊も弘法大師の作とされる。弘安一〇年(一二八七)一〇月二九日の寂円檀那譲状(米良文書)に「とうたうミのくにゝし山寺(遠江国西山寺)」とあり、当寺の伊勢阿闍梨が先達として引く檀那を、熊野御師寂円が証道房に譲っている。当寺が所蔵する磬(県指定文化財)の銘に「深萩西山寺磬」とあり、建武元年(一三三四)九月沙弥妙覚によって寄進された。 西山寺せいざんじ 長崎県:下県郡厳原町府中城下奥里西山寺[現在地名]厳原町国分 奥里国府(こう)岳(鶴翼山)の麓、府中(ふちゆう)の浦を見下ろす位置にある。鶴翼山と号し、臨済宗南禅寺派。本尊は大日如来で、銅造の見事な高麗仏。天安元年(八五七)郡領らが島司立野正岑などを殺害した反乱で古代の島分(とうぶん)寺が炎上した翌年、国府岳の東麓に大日堂が復興され、のち大日(だいにち)寺と号するようになり、永正九年(一五一二)島主の宗貞国の夫人佐々木氏を同寺に葬ったことから、その法号西山寺殿心鏡妙照大姉にちなんで、西山寺と改めたという。もと真言宗で、室町後期に臨済宗となり、享禄四年(一五三一)対馬の臨済宗の僧録になったとされる。宣祖二九年(一五九六)朝鮮王朝の通信正使の黄慎は府中に滞留、府西にある精舎五、六間の西山寺を訪れ、酒の馳走を受けた(日本往還記)。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by