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蕭衍 しょうえん

4件 の用語解説(蕭衍の意味・用語解説を検索)

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

蕭衍
しょうえん

「武帝[南朝梁]」のページをご覧ください。

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大辞林 第三版の解説

しょうえん【蕭衍】

464~549) 中国、南朝梁の初代皇帝(在位502~549)。諡おくりなは武帝。斉を滅ぼして建国。治世中、六朝りくちようを通じて最も貴族文化が栄えたが、晩年仏教に傾倒して財政を破綻させた。

出典|三省堂
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日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

蕭衍
しょうえん
(464―549)

中国、南朝梁(りょう)の皇帝(在位502~549)。廟号(びょうごう)は高祖。諡号(しごう)は武帝。蘭陵(らんりょう)(もと山東省、当時は江蘇(こうそ)省武進)の出身で、父は南斉(なんせい)王朝の建国者蕭道成(しょうどうせい)の族弟にあたる。南斉末、雍州刺史(ようしゅうしし)として襄陽(じょうよう)にいたが、兄が南斉末の暴君東昏侯(とうこんこう)に殺されたのを機に挙兵し、都の建康(南京(ナンキン))を襲って南斉を滅ぼし、梁王朝を建てた。彼の治世は50年近くの長期にわたったが、その初期には官制の改革をはじめとする諸種の政策によって、頽廃(たいはい)していた南朝の貴族制の改革に努め、比較的安定した時代となった。彼自身は熱心な仏教徒であるとともに、多数の著述もある知識人でもあり、南朝仏教の黄金時代を招いたが、晩年は仏教に溺(おぼ)れて政治が顧みられなくなり、ついに北朝の反臣侯景(こうけい)によって建康を落とされ、幽閉されて死んだ。陵は順陵(丹陽)。[中村圭爾]
『森三樹三郎著『梁の武帝』(1956・平楽寺書店)』

出典|小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)
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世界大百科事典内の蕭衍の言及

【魏晋南北朝時代】より

…これにとって代わったのが(南斉)であり,南斉も宋とよく似た政治過程を経て,に滅ぼされた。南斉と梁の建設者蕭道成(高帝)および蕭衍(しようえん)(武帝)の出身した蕭氏は寒門士族であり,蕭道成も蕭衍も北魏との国境地帯(江北・淮南(わいなん))に配置された軍司令官であった。現地にはかつて華北から避難してきた人々が居住しており,それを指導する土着豪族たちは中央の門閥貴族から寒門視された。…

【武帝】より

…在位502‐549年。姓名は蕭衍(しようえん)。南蘭陵(江蘇省常州市)の人。…

【梁】より

…中国,(南朝)の元帝の政権が西魏によって滅ぼされた後,江陵(湖北省江陵)に建てられた王朝。555‐587年。後梁とよばれる。初代天子の蕭詧(しようさつ)は梁の武帝の孫,昭明太子の第3子。西魏・北周・隋の3代にわたって北朝の傀儡(かいらい)王朝として存在し,境域もせまく,軍政長官たる江陵総管のきびしい監視のもとにおかれた。政治的にはまったく無力であったが,江南の文化を北朝に伝えるうえで一定の役割を果たした。…

※「蕭衍」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社日立ソリューションズ・クリエイト
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