光孝寺跡(読み)こうこうじあと

日本歴史地名大系 「光孝寺跡」の解説

光孝寺跡
こうこうじあと

[現在地名]国富町八代南俣

樋渡ひわたしにある。臥龍山と号し、曹洞宗本尊千手観音開山は不詳であるが、光孝天皇のとき勅願所として建立されたと伝える。創建当初は七堂伽藍を備えていたとされ、本尊は阿弥陀如来、客殿に釈迦如来山門に千手観音を安置していたが、のち千手観音のみが残ったので本尊としたという。中興開山は顕仲(三国名勝図会)。嘉慶元年(一三八七)一二月一八日の石見守祐清寄進状(高岡名勝志)に光孝寺とみえ、伊東氏所縁の人物とみられる祐清は祐氏菩提の当寺に「今平内丹波田弐反」を亡父道賢の菩提のため永代寄進している。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

二十四節気の一つ。元来,太陰太陽暦の 12月中 (12月後半) のことで,太陽の黄経が 300°に達した日 (太陽暦の1月 20日か 21日) から立春 (2月4日か5日) の前日までの約 15日間で...

大寒の用語解説を読む