光孝寺跡(読み)こうこうじあと

日本歴史地名大系 「光孝寺跡」の解説

光孝寺跡
こうこうじあと

[現在地名]国富町八代南俣

樋渡ひわたしにある。臥龍山と号し、曹洞宗本尊千手観音開山は不詳であるが、光孝天皇のとき勅願所として建立されたと伝える。創建当初は七堂伽藍を備えていたとされ、本尊は阿弥陀如来、客殿に釈迦如来山門に千手観音を安置していたが、のち千手観音のみが残ったので本尊としたという。中興開山は顕仲(三国名勝図会)。嘉慶元年(一三八七)一二月一八日の石見守祐清寄進状(高岡名勝志)に光孝寺とみえ、伊東氏所縁の人物とみられる祐清は祐氏菩提の当寺に「今平内丹波田弐反」を亡父道賢の菩提のため永代寄進している。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

梅雨の季節に入ること。つゆ入り。毎年6月中旬~7月中旬の約1ヵ月間,九州から東北地方は梅雨の季節に入る。これは,北方のオホーツク海高気圧と南方の小笠原高気圧とに挟まれて,揚子江流域から九州,四国,本州...

入梅の用語解説を読む