日本大百科全書(ニッポニカ) 「児童詩」の意味・わかりやすい解説
児童詩
じどうし
大人のつくる詩や童謡ではなく、子供自身のつくる自由詩をさす。大正中期、北原白秋(はくしゅう)は、雑誌『赤い鳥』で新しい童謡運動をおこすとともに、児童自身のつくった童謡の投稿に刺激され、改めて児童作品欄を設けた。初めそれは大人のつくる童謡の模倣であったが、やがてしだいに児童本然の自由律の形式に転じ、白秋は自然の赴くところにしたがって児童自由詩の提唱と指導に力を注ぎ、1933年(昭和8)、これらの児童作品を集め、選評を添えて、『鑑賞指導児童自由詩集成』を上梓(じょうし)した。以来、児童自由詩は山本鼎(かなえ)の開拓した自由画とともに、芸術教育の先駆けとなり、さらに綴方(つづりかた)教育→作文教育とも大きく交流した。
第二次世界大戦後はこの作文教育運動に伴い教育現場でも一つの系脈をなして発展したが、やがて詩が学校における学習の一環となるに及んで、子供の詩のことばはやや無力化する傾向にもなった。そのなかで、たとえば、1948年(昭和23)2月から71年3月まで220号を重ねた児童詩雑誌『きりん』に発表された子供の詩などには、子供の自由で豊かな創造の世界が呈示され、人々の注目を浴びた。そこには子供本然の生命力がみられたからであろう。最近は、学齢以前の幼児のことばをとらえた口頭詩もある。児童詩のとらえ方は、教育の現場でもいろいろと論議されているが、一方、教育のうえで無理に子供に詩らしいものを書かせるよりは、大人のつくった優れた詩を十分に読ませるほうがよいという説もある。
[鶴見正夫]
『日本作文の会編『日本の子どもの詩』全47巻(1980~84・岩崎書店)』▽『阪本遼著『こどもの綴方・詩』(1953・創元社)』