子どものために作られた歌。古くは〈わざうた〉と読み,社会を風刺する歌などが読み人知らずで世間に広まっていったはやり歌を意味していた。これは,神意が子どもたちの口を通して示されると考えられていたことによる。日本最古の童謡集とみなされる釈行智(しやくぎようち)編纂の《童謡集》(1820(文政3)ころ)にみられるように,江戸時代ころからは,〈わらべうた〉を意味するようになった。大正期の童謡運動以後,子どもたちに読ませるために作られた詩,さらに子どもたちのために作られた歌曲をさすようになった。これらは,従来のわらべうたと区別するため創作童謡,芸術童謡などともいわれ,またわらべうたの方を伝承童謡とよんでいた。
1918年に鈴木三重吉らによって創刊された児童雑誌《赤い鳥》を基盤に展開された〈赤い鳥〉の運動は,泉鏡花,小山内薫,芥川竜之介,北原白秋,島崎藤村ら当時を代表する文学者の参加を得て児童文学の運動として始まった。北原白秋がおもに詩を担当し,わらべうたのスタイルを踏襲した韻を踏んだリズミカルな詩をのせた。その口調のよさが子どもたちから歓迎され,勝手に節付けされて歌われていたが,正規の曲を付けてほしいという投書が相次いだことから,この運動に作曲家が加わり,創作童謡の大きな運動となった。鈴木三重吉が〈子供たちの学校の唱歌なぞが,その歌章と附曲と二つながら,いかに低俗な機械的なものであるかといふことは,最早罵倒するにさへ価しない〉と述べているように,徹底した学校の唱歌の批判の上に立っていた。作曲は初め成田為三があたり,次いで山田耕筰が加わり弘田竜太郎,藤井清水(1889-1944),草川信(1893-1948),中山晋平ら当時の第一級の音楽家が参加していた。詩がわらべうたなどの日本の伝統の上に立とうとしていたのに対し,曲は西洋音楽を基礎とし伝統とはほど遠いものであった。そのため《赤い鳥小鳥》など唱歌に近い曲になり,一方では《かなりや》など子どものためというより,芸術歌曲としての名作をも数多く誕生させ,日本の芸術歌曲の草分けともなった。
《赤い鳥》童謡の成功で《金の舟》《少女号》《コドモノクニ》など児童雑誌は相次いで童謡を掲載した。一方,《かなりや》が1920年に〈ニッポノホン〉レーベルで発売され,この成功によって各社が競って童謡レコードを発売し,童謡のブームに拍車をかけた。また昭和に入ると外国資本の導入によって生産形態を整えたレコード会社が童謡の量産体制に入り,童謡が歌謡曲と並んで商品化された。歌謡曲の世界でも大活躍していた野口雨情作詞,中山晋平作曲のコンビによる《あの町この町》《雨降りお月》や,河村光陽(1897-1946)作曲の《ひなまつり》など今もよく歌われる歌が輩出した。しかし,子どもの流行歌としての〈レコード童謡〉の量産がその質の低下をもたらし,戦後再び子どもの歌の運動が起きた。〈赤い鳥〉の流れをくむ詩人サトウ・ハチロー(1903-73)や新進作曲家団伊玖磨(1924-2001),芥川也寸志(1925-89),中田喜直(1923-2000)らによるもので,NHKのラジオ番組〈歌のおばさん〉を媒介とし,ここから《めだかの学校》《ぞうさん》など,簡単な旋律でありながら,芸術味のある歌が誕生した。ついで中田喜直,磯部俶(1917-98)らによる〈ろばの会〉が結成され,彼らは〈レコード童謡〉のイメージから脱皮すべく童謡の名称を用いず,〈こどものうた〉とよんだ。1960年代に入ってテレビの普及によって子どもの歌の世界も大きく変化し,ラテンやポピュラーのリズムをとりいれた歌が多くなり,また〈ピンポンパン体操〉の歌によって再び子どもの歌の流行歌現象が起き,子どもたちがレコード産業の重要なマーケットに組み入れられた。この状況にあって84年に日本童謡協会は,《赤い鳥》が創刊された7月1日を〈童謡の日〉と定め,童謡復興の運動に乗り出した。なお,子どもたちが古くから歌いついできた〈自然発生的な〉歌は,外国のものも含め〈わらべうた〉の項を参照されたい。
執筆者:繁下 和雄
古代日本で巷間に流行した歌謡のことで,特に種々の社会的事件の前兆と考えられたものをさす。《日本書紀》《続日本紀》以降の六国史および《日本霊異記》には,7~9世紀のわざうた約20首が,そのときどきの事件と付会されてのっている。《日本霊異記》の所説によれば,〈天の下を挙(こぞ)りて〉大流行した歌がわざうたにほかならず,おそらくそれは7世紀ころからのあらたな社会現象として注目をひいたらしい。古代において,地震,干ばつ,長雨などの天災や白い雉(きじ)・赤い烏といった自然界の異変が,天子の政治に対する天の〈さとし〉としてうけとられていた。〈白雉〉〈朱鳥〉〈神亀〉などの元号はそうした瑞祥にあやかろうとしたものである。いつとも知れずうたいひろめられるわざうたの流行現象も,天災・瑞祥とならぶ不思議に属しており,世のありさまとひき比べて解読さるべきものであった。わざうたの一つの典型は,671年天智天皇の死の前後より流行したという〈み吉野の吉野の鮎……〉にはじまる一連の歌で,これらは翌672年に起こった壬申の乱の前ぶれと解されている。そして《古事記》序文には,当時吉野に退隠していた大海人皇子(おおあまのみこ)(天武天皇)が,このわざうたによって内乱蜂起の決断をくだしたらしい形跡もうかがえる。わざうたの元の素姓はいずれもごく普通の恋歌などだが,世情と暗合して巷間に流出し,流行を通して多様な暗示をばらまいていったようだ。それは当時の社会動向に対する都市民を中心とした庶民層のひとつの予感の表明ともみなしうる。いずれにしてもわざうたが上述のような一定の力(わざ)・功徳を持ちえたことはたしかで,〈わざうた〉の名もその点にもとづくのであろう。〈童謡〉という表記は中国史書によっており,巷間の時事謡をいう中国での用法にならったとみられる。なお《漢書》等にこうした童謡が〈詩妖〉の一類として記載されている点から,わざうたを〈詩妖〉の日本語化とする益田勝実の説がある。
→童謡(どうよう)
執筆者:阪下 圭八
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「子供の歌」の総称。ただし、民間で伝承されてきた「わらべうた(童唄)」を除外して、近代の作曲家により創作されたものだけをさすことのほうが多い。「童謡」という語は、中国の『漢書(かんじょ)』『後漢書(ごかんじょ)』に倣って『日本書紀』などに用例がみられるが、中国の場合と違って、かならずしも子供が歌うものとは限らず、「わざうた」と訓読みしていたことからもわかるように、神的な存在としての子供の口を介して表現される社会批判の声に類する歌を漠然とさしていた。民謡の一ジャンルともみなせるこうした風刺歌ないし呪術(じゅじゅつ)歌は、イギリスの「マザー・グースの歌」、ミクロネシアの児童祭礼歌など、諸民族にいくつか例がある。それらは多くの場合、歌詞の表面上の意味は子供の興味をひくようにできていても、その背後に隠された民間信仰上の深い多義性は大人にしかわからないようにできている。
狭義の童謡は、近代日本で典型的にみられるように、教育的配慮に動機づけられた文学者と作曲家によるいわゆる「創作童謡」である。ヨーロッパでは、J・J・ルソー作といわれる『結んで開いて』やオルフの一連の作品がある。日本では、明治以来の学校唱歌に反発する形で大正期に始まった童謡運動によりつくりだされた歌の数々が一般に流布するようになる。これらは、かならずしも伝統的な童唄の要素を備えてはいず、むしろ新鮮な作詞と親しみやすい旋律で時代の思潮を表明したと考えられている。たとえば、鈴木三重吉(みえきち)、北原白秋(はくしゅう)、西条八十(やそ)、三木露風(みきろふう)、野口雨情(うじょう)らの作詞家と、成田為三(ためぞう)、山田耕筰(こうさく)、弘田(ひろた)竜太郎、藤井清水(きよみ)、中山晋平(しんぺい)らの作曲家との連携による作品が現在でも広く知られている。この時期の童謡の普及に役だったのはレコード産業の勃興(ぼっこう)と隆盛であった。
第二次世界大戦後は、マス・メディアにのった新しい伝承経路により様相が変わる。ラジオの「歌のおばさん」を代表とする幼児向けの童謡復興運動にのって、中田喜直(よしなお)・團伊玖磨(だんいくま)・大中恩(めぐみ)・芥川也寸志(あくたがわやすし)らが日本語の特徴を以前にも増して生かした形で作曲した。1960年代からは、テレビが普及するにつれさらに多様化していく。「ピンポンパン体操」のように身体運動と結び付けたリズミカルな歌や、視覚的なイメージと連関させた主題歌やアニメ・ソング、さらにコマーシャル・ソングやポップスなどとの様式的区別がむずかしいものなどが輩出しているのが現状である。いずれにしても、子供のために大人がかってに創作する態度から、もっと子供の現実の生活に密着したものに近づけようとする傾向を童謡の歴史にたどることができる。
[山口 修]
『与田凖一編『日本童謡集』(岩波文庫)』▽『上笙一郎著『童謡のふるさと』(1975・理論社)』
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…《ガリバー旅行記》や《ロビンソン・クルーソー》はその典型的な例である。 したがって児童文学の領域も,広くは,子どもたちが言語を媒介とし耳で聞いた口承の民話,神話,伝説,寓話などからの簡単なお話,民謡,童謡,絵の助けを借りる絵本,絵物語,漫画,そして文字を媒介とする童話,物語,小説,事実の本,知識の本までを含む。この領域の順は児童文学の生長過程でもある。…
…これは,神意が子どもたちの口を通して示されると考えられていたことによる。日本最古の童謡集とみなされる釈行智(しやくぎようち)編纂の《童謡集》(1820(文政3)ころ)にみられるように,江戸時代ころからは,〈わらべうた〉を意味するようになった。大正期の童謡運動以後,子どもたちに読ませるために作られた詩,さらに子どもたちのために作られた歌曲をさすようになった。…
…サンスクリットの聖典《リグ・ベーダ》(最終版は前1000年ころ)には,なぞの形式による神の賛歌が含まれている。〈マザーグース〉の名で知られるイギリス伝承童謡中の,〈ハンプティ・ダンプティは塀に座っていた/どすんと地面に落っこちた/王様の軍勢が総がかりでも彼を元には戻せなかった〉という歌も,ハンプティ・ダンプティ=卵という解答を秘めたなぞなぞである。〈宇宙卵〉の墜落と歴史の始まりという宇宙開闢(かいびやく)神話の残響がここに聞きとれる。…
…つまり,洋楽系の日本人の音楽は,〈日本の音楽〉というが,〈日本音楽〉とはいわないという考え方である。 この〈日本音楽〉には,いわゆる邦楽のほかに,民謡,童歌(わらべうた),民俗芸能の音楽などの民俗音楽や唱歌(しようか),軍歌,童謡,歌謡曲なども含まれることがある。このうち,民俗音楽は広義の〈邦楽〉に入れることもあるが,唱歌,軍歌,歌謡曲などは〈邦楽〉には入れないのが普通であるだけではなく,後述のように洋楽に扱うこともある。…
…流行唄,時花歌などとも表記する。童謡(わざうた),時人の歌,巷謡などといわれるものが同義のこともある。一時期,広い地域に流行・伝播(でんぱ)する歌謡,歌曲のことをいい,原則として,成立の事情のいかんにかかわらず,その創作者はほとんど問題とされない。…
※「童謡」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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