日本大百科全書(ニッポニカ) 「全国1日交通圏」の意味・わかりやすい解説
全国1日交通圏
ぜんこくいちにちこうつうけん
日本各地を日帰りで行き来できるようにしようという構想、あるいは日帰りが可能である地域の範囲。1987年(昭和62)の第四次全国総合開発計画(四全総)で、国土庁(現、国土交通省)が打ち出した概念である。全国各地に空港、新幹線、高速道路網などの高速交通機関を整備し、主要都市間の移動時間をおおむね3時間以内に抑え、地方から高速交通機関を利用するのにかかる時間(アクセス時間)をおおむね1時間以内に短縮することで、実現を目ざした。
全国1日交通圏がどの程度実現したかを示す指標として「1日交流可能人口比率」がある。これは、ある地域から日帰り(おおむね片道3時間)で面会できる人の数が全国の人口の何割程度を占めているかを示す。ある地域の1日交流可能人口比率が約50%ならば、その地域から全国の人のほぼ半数に日帰りで面会できることを意味する。東京の1日交流可能人口比率は1965年(昭和40)に55%であったが、2003年(平成15)には90%になり、大阪も同期間に57%から89%に上がった。全国平均の1日交流可能人口比率は1965年の28%から2003年に約6割に上昇しており、日本人のほぼ6割が全国1日交通圏に住んでいることを意味する。全国1日交通圏は、均衡ある国土の発展や東京一極集中の是正を目ざして中曽根康弘(なかそねやすひろ)政権時に打ち出された構想であるが、過大な公共投資による財政の悪化や自然破壊などを招いたとされている。一方、2000年代に入って日本の人口が減少に転じ、都市と地方の経済格差が鮮明になるなか、改めて高速交通網の整備による全国1日交通圏の重要性を説く学者や識者もいる。
なお全国1日交通圏の海外版ともいうべき考え方に、日本各地から出発したその日のうちに到達でき、一定の用務をこなせるアジアの地域として「東アジア1日圏」という概念がある。
[矢野 武]