1964年の東京五輪開幕直前に東京―新大阪間(約515キロ)で開業した東海道新幹線をはじめとして、北海道、東北、上越、北陸、山陽、九州、西九州でJR各社が運行する高速鉄道。一部在来線区間を走る秋田、山形新幹線もある。北陸は2024年3月に金沢―敦賀(福井県)間が延伸開業され、最終的に新大阪に到達する予定。北海道や西九州でも延伸の計画がある。
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日本の主要都市間を結ぶ、時速200キロメートル以上で走行できる高速旅客列車専用の特別な鉄道路線。海外でもShinkansenの名称がそのまま使われている。全国新幹線鉄道整備法(昭和45年法律第71号)には時速200キロメートル以上の高速度で走行できる幹線鉄道と定義されている。一方、海外の高速列車は時速250キロメートル以上で走行するものと定義されている。
1964年(昭和39)10月1日、東京―新大阪間に標準軌(1435ミリメートル)の高速旅客列車専用の特別線が営業を開始した。この東海道新幹線が契機となって、専用の高速鉄道線が新幹線と称されるようになった。
現在、日本には東海道、山陽、東北、上越、北陸、九州、西九州および北海道の8線区があり、北陸新幹線金沢―敦賀(つるが)間および北海道新幹線新函館北斗(しんはこだてほくと)―札幌間が工事中である。また、全国新幹線鉄道整備法によらない、狭軌(1067ミリメートル)の在来線を標準軌に改軌して新幹線との相互直通運転を行う、ミニ新幹線とよばれる山形、秋田の2線区がある。このほかに、東海旅客鉄道(JR東海)が東海道新幹線の将来の輸送需要増および南海トラフ地震への対応として、設計最高時速505キロメートルの超電導磁気浮上方式の超電導リニアで中央新幹線を建設中である。東京(品川)―名古屋間285.6キロメートルの開業予定は2027年以降、大阪までの延伸は2037年とされている。
[佐藤芳彦 2024年1月18日]
山陽新幹線の工事が進むなか、1970年(昭和45)、政府は「全国新幹線鉄道整備法」を制定した。全国7000キロメートルに及ぶマスタープランのうち、東北(東京―盛岡)、上越(大宮―新潟)、成田(東京―成田)新幹線を着工線、東北北海道(盛岡―札幌)、北陸(高崎―富山―大阪)、九州(博多(はかた)―長崎、博多―鹿児島)を整備計画線とした(成田新幹線は1987年に計画失効)。これは、東海道新幹線が予期以上の輸送実績をあげ、早くも償却を完了して黒字に転じ、営業係数(収入に対する経費の割合)50%台のドル箱路線となったことと、安全・高能率な輸送が維持されて、世界的にも注目を集めたことからである。しかし、第一次オイル・ショック以降、インフレの進行が工期に影響して山陽新幹線開業が遅れたことでもわかるように、そのころから、(1)日本経済の高度成長の終息、(2)高速自動車道路網の急速な発達と自動車保有台数の激増、(3)国内航空路の充実、(4)公害防止・自然保護への世論の盛り上がり、などの要因で、新幹線開設のための莫大(ばくだい)な投資が全国的に有効かどうかについての疑問が浮かび上がってきた。
1987年4月1日、日本国有鉄道(国鉄)は民営化され、東北・上越新幹線は東日本旅客鉄道(JR東日本)、東海道新幹線はJR東海、山陽新幹線は西日本旅客鉄道(JR西日本)と、それぞれの旅客鉄道会社(JR)が運営を行うことになった。それまでは、新幹線の建設は国鉄および日本鉄道建設公団が行っていたが、JRによる建設は行わないことになり、新幹線施設は一括して新幹線鉄道保有機構が保有したうえで、JR各社に貸し付け、そのリース料と国による公共投資などを組み合わせて新規路線整備の財源を捻出(ねんしゅつ)することとなった。各社の新幹線リース料は、再評価による資産額約8.5兆円を基に30年元利均等払いの条件で算定された。建設費の割合は、JR負担50%(リース料を含む)、国負担35%および地方負担15%であった。
新幹線鉄道保有機構は、JR3社の上場が視野に入った1990年(平成2)に、各社の経営責任の明確化と運営の自主性強化のため、資産の再々評価を行った。その結果9.2兆円と算定された資産は、翌1991年にJR3社に譲渡された。先の8.5兆円からそれまでのリース料を差し引いた8.1兆円から1.1兆円の価格上昇となり、これが整備新幹線建設の新たな財源となった。8.1兆円は2017年(平成29)上期までに返済されている。1.1兆円は固定金利6.55%の60年間の元利均等償還とされ、既設新幹線譲渡収入として年額724億円を国に返済することとなった。1991年10月に新幹線鉄道保有機構は施設をJR3社に譲渡して解散し、鉄道整備基金が発足した。
1996年に新幹線のリース料を差し引いた建設費の3分の2を国が、3分の1を地方が負担する新スキームが決まった。これは社会基盤整備の際の国と地方の負担割合にあわせたものであり、前記の新幹線譲渡収入の年額724億円は国の負担分に繰り入れられた。リース料はそれぞれの新幹線の開業により得られる収入、すなわち受益の範囲とすることによって事業者となるJRの負担を軽減した。同時に、整備新幹線運行区間の並行在来線をJRから切り離すことも方向づけられた。鉄道整備基金は1997年10月には船舶整備公団と統合し、運輸施設整備事業団となり、さらに、2003年10月に日本鉄道建設公団と統合し、独立行政法人鉄道建設・運輸施設整備支援機構(略称、鉄道・運輸機構)となった。
2004年12月の政府・与党申合せとして、着工5条件を明確にし、既設新幹線の2013年から2017年までの譲渡代金の前倒し分として、財政投融資資金を借り入れて整備財源とした。これらを含め国の負担分とし、建設費からリース料を差し引いたものの3分の2を国、3分の1を地方が負担することとなった。地方負担分は、9割までを地方債とし、地方債の元利償還金の50%(2008年以降は50~70%)までを地方交付税で補助する。5条件とは、(1)安定的な財源見通しの確保、(2)収支採算性、(3)投資効果、(4)JRの同意、(5)並行在来線の経営分離についての沿線自治体の同意である。これにより、北海道新幹線、北陸新幹線、九州新幹線西九州ルート(長崎新幹線)が着工された。北海道新幹線新青森―新函館北斗間は2016年3月26日に開業。九州新幹線西九州ルートは、2021年(令和3)4月に「西九州新幹線」と命名され、2022年9月23日に開業した。北陸新幹線金沢―敦賀間は2023年9月26日から営業用電車による試運転が開始され、2023年度末に完成予定である。
北陸新幹線高崎―長野間で提案されたミニ新幹線やスーパー特急方式による建設費低減方策は、地元の同意を得られずにフル規格での建設が推進された。
なお、全国新幹線鉄道整備法は数次の改正を経て、2023年時点では、北海道(青森―札幌)、東北(盛岡―青森)、北陸(東京―大阪)、九州(福岡―長崎、福岡―鹿児島)の5路線の整備を行うこととしている。
[佐藤芳彦 2024年1月18日]
新幹線は最初、最高時速210キロメートルであったが、2021年(令和3)時点では東海道新幹線が時速285キロメートル、山陽新幹線が時速300キロメートル、上越新幹線が時速240キロメートル、東北新幹線が時速320キロメートル、北陸新幹線、九州新幹線および北海道新幹線が時速260キロメートルとなっている。さらに、JR東日本は時速360キロメートルを目ざして開発を進めている。なお、上越新幹線では1990年(平成2)から1999年まで200系を使用して時速275キロメートルでの運転を行っていた。
レール・車輪方式による鉄道の世界最高速度記録(時速)は、2007年4月3日にフランスの超高速列車TGV(テージェーベー)-POS(東ヨーロッパ線)をベースにした試験列車V150が出した時速574.8キロメートルで、日本最高速度記録は1996年7月26日にJR東海の試作車両300Xが東海道新幹線の京都―米原(まいばら)間で出した時速443キロメートルである。
試験で高速記録を出すことができても、営業運転には、騒音、振動および電磁波抑制など、沿線の環境保全が必須(ひっす)であり、そのための技術開発が進められた。また、速度向上に伴い軌道、電車線や車両の保守費も増加する。環境対策のための投資や速度向上による保守費の増加と、収入増加とのバランスで営業運転速度が決まり、日本国内および海外では時速320キロメートルが現時点での一つの壁となっている。
[佐藤芳彦 2022年7月21日]
江戸開府以来、日本の交通は江戸と京坂地区を結ぶ東海道が圧倒的に多かった。現代においてもその事情は変わらず、東海道沿線地帯は、人口密度の高い、世界有数の密集工業地帯である。第二次世界大戦以前すでに複線の東海道本線では鉄道輸送の需要に応じきれず、線路の増設を必要としていた。とくに日中戦争が始まってからは、朝鮮半島や中国大陸との人員や物資の交通の必要が高まり、1938年(昭和13)から東京―下関(しものせき)間の標準軌新線が計画されたが、戦況の激化によって実現に至らなかった。日本の鉄道が戦後の荒廃から立ち直り、経済力の伸展とともに、ふたたび東京―大阪間を主とする輸送能力の増強が要求されるようになったのは、1955年(昭和30)ころからである。他の交通手段である高速自動車道路や空港、港湾施設の新設・改良も実施されつつあったが、ことに鉄道線路の増強が必要とされていた。
1955年5月、国鉄総裁に十河信二(そごうしんじ)(1884―1981)が就任すると、「東海道線増強調査会」が設けられた。調査会の活動が軌道に乗り始めた1957年5月30日、国鉄の鉄道技術研究所(現、公益財団法人鉄道総合技術研究所。略称、JR総研)は、創立50周年記念行事として講演会を開催した。ここで発表されたのは、標準軌の高速電車を研究開発すれば、東京―大阪間を3時間で運転できるという技術者たちの意見であった。技術者たちの自信は国鉄幹部に勇気を与えるとともに、一般世論にも大きな関心を呼び起こした。
一方、実現を迫られている東海道線の増強について、在来の線路網の一部として狭軌のままとするか、標準軌または広軌とするか、東海道本線と併設するか別線にするか、動力方式はどうするかなど、さまざまな問題点の詳細な調査と検討が進んでいた。この調査結果を基にして、閣議決定による「日本国有鉄道幹線調査会」が運輸省(現、国土交通省)に設置されたのは1957年8月のことであった。当時の国鉄技師長の島秀雄(しまひでお)は、(1)1435ミリメートルの標準軌とし、(2)東京―大阪間を3時間で運転できる高速旅客列車専用線路を建設する、(3)動力は単相交流電化方式を採用する、という方針を運輸省の調査会に提案した。この方針は検討のすえ支持を得て、審議会の答申として建設基準が打ち出された。
最高時速200キロメートルの高速列車には、全電動車方式の総括制御式編成電車が適していると判断された。その理由は、電気機関車による動力集中方式と比べて、(1)軸重が各車両に分散し平均化するので、軌道の強度が弱くてすみ、建設費・保守費が低下する、(2)高速域から減速して停車させる際に、駆動用の電動機を発電ブレーキとして用いる制動を主にできるので、安全性が向上し、保守上も有利であること、などである。
開業の目標期限は、1964年の東京オリンピックに置かれた。新設された新幹線総局を中心に、国鉄技術陣は、関連する工業界の協力を得て、総力をあげて研究・開発・設計にあたった。期限が明確化したため、研究・開発の成果のうちから、確実に実行可能な既成技術を中心に組み合わせて、安全確実な新幹線システムが完成した。当初の約1950億円の予算は、逐年修正されて完成までに約3800億円となったが、その間のインフレーションの影響を考慮に入れると、計画実施者の努力を反映する低価格投資ということができる。在来線と別ルートを採用した結果、実距離は515.4キロメートルと短縮された。
東海道新幹線の開業と商業的成功は世界の注目を集めた。それがもたらした影響は後述する。
[佐藤芳彦 2022年7月21日]
在来線から独立した鉄道システムとして、標準軌、軌道中心間隔4.2メートル(山陽新幹線以後4.3メートル)、車体幅3.4メートル、高さ4.5メートルの新しい規格を採用し、車体長25メートル、2+3人掛けの5列座席を可能とした。営業列車はすべて旅客とし、加減速性能の高い流線形の電車編成を運行した。列車種別も各駅停車列車と通過駅の多い速達列車の2種類に単純化、駅構造を標準化し、時速200キロメートルでも列車の追突や衝突を防ぐ自動列車制御装置(ATC装置)や列車集中制御装置(CTC装置)をはじめとする安全システムを導入、在来線や道路との平面交差をなくすなど、安全性と生産性を高めた。これにより高速大量輸送による高収益の鉄道を実現することができた。
在来線が狭軌で建設され、速度向上や輸送力増強に限界があることから、新幹線は標準軌を採用し、大型車体断面を可能とした。人口と産業の集積している東海道新幹線では有効な手段であったが、標準軌のネットワークが整備されている欧米の鉄道が、在来線の輸送のボトルネック解消のためにバイパスの新線を建設して高速列車を運転していることとは異なる方法であった。高速列車ネットワークの全国への拡大に際し、輸送需要の少ない地域にも大量高速の標準軌新幹線を建設するようになった。車体断面の小さいミニ新幹線やスーパー特急が提案されても、地方には受け入れられなかった。
[佐藤芳彦 2022年7月21日]
新丹那(しんたんな)トンネルをはじめとする長大トンネル、富士川などの長大橋梁(きょうりょう)(主として鉄桁(てつげた))などは軽量化構造とし、桁の長さや部材寸法を標準化して、風水害・地震などに対する復旧が速やかにできるようくふうされた。宮城県沖地震、阪神・淡路(あわじ)大震災、新潟県中越地震など、大規模な地震発生のつど、土木構造物の耐震基準が見直され、既設の構造物も新しい耐震基準に適合するよう補強工事が行われている。
騒音、振動および電磁雑音による公害問題が表面化したのは、名古屋地区に名古屋新幹線公害対策同盟が結成された1971年(昭和46)以降である。同盟は名古屋新幹線公害対策同盟連合会、ついで新幹線公害反対全国連絡協議会に発展し、有志による原告団が1973年には国鉄を相手として騒音・振動の低下と慰謝料を求める訴訟をおこし、係争を行っていたが、1986年に至って原告団と国鉄との間で和解の合意に達した。公害問題に対応して、政府によって公示された環境基準に適合する防音・防振構造の研究改良が行われ、吸音材料の防音壁を住宅密集地区に設け、新たに建設される橋梁はPC(プレストレストコンクリート)の長大スパンとするなどの対策がとられた。さらに将来の新幹線計画については、環境アセスメントにしたがって地元の意見を取りまとめ、報告書を実施計画書に添えて国土交通大臣に許可を申請することになっている。
[佐藤芳彦 2022年7月21日]
東海道新幹線の道床は主として盛り土構造のバラスト道床(路盤上に砕石を敷き詰めた道床)であり、砕石の上に枕木(まくらぎ)を敷設している。開業当時、レールは1メートル当り53キログラムの新しい形状(Tレール)が採用された。溶接によるロングレールで、信号軌道回路のセクションの必要から1500メートルを単位としている。ロングレールどうしの継ぎ目にも伸縮継ぎ目装置を使用しているので、従来の鉄道のような衝撃音は発生しない。枕木はPC製で、レール底面のあたる箇所にゴムパッドを敷き、さらに弾性締結装置でレールを固定している。山陽新幹線では、コンクリートブロック(スラブ)にレールを締結するスラブ軌道が開発された。スラブ軌道は山陽新幹線の新大阪―岡山間建設時に試験的に導入され、その後の新幹線では標準となっている。
軌道および架線の保守には、営業列車と同じ速度で走りながら自動的に摩耗や変位状態を記録測定する総合試験車を使用して合理化を図った。近年は、センサー技術の発達で、九州旅客鉄道(JR九州)の800系(2004年から)やJR東海のN700S系(2019年から)では営業用車両にセンサーを取り付けて軌道や架線の状態監視を行うようになっている。
[佐藤芳彦 2022年7月21日]
東海道新幹線開業直後の1965年1月、関ヶ原(せきがはら)付近の降雪や吹雪(ふぶき)で車両故障や停電が発生した。機器箱への浸水、冷却風取入れ口への着雪に伴う保護装置動作による故障に加え、床下機器の雪塊が落下し、跳ね上げられたバラストによる床下機器箱の損傷や対向車の窓ガラスの破損が引き起こされた。その対策として、機器箱の密閉化、窓ガラスの強化、名古屋駅における到着列車の床下機器の除雪、関ヶ原付近の積雪へのスプリンクラーによる散水が行われた。
この経験から、豪雪地帯を走る東北・上越・北陸新幹線では、徹底的な雪害対策が講じられた。東北新幹線は高架橋上部スペースに余裕を設け、除雪した雪を貯留するようにした。上越新幹線は地下水をくみ上げて加熱して道床に散布する融雪システムを採用した。融雪した水は回収のうえ、再加熱され道床に散布される。北陸新幹線では除雪した雪を高架橋のすきまから下に落下させている。バラスト軌道の分岐器(ぶんぎき)については、バラスト飛散防止ネットを取り付けた。また、分岐器への着雪あるいは雪塊落下によるポイント不転換を防ぐため、融雪装置を取り付けた。このように各種の雪対策が実施されたのは、降雪量が多く、かつ湿った雪が多い日本ならではのものである。車両の雪対策については「(6)車両技術」を参照。
[佐藤芳彦 2022年7月21日]
東海道新幹線は予期以上の輸送量となったので、レールと架線の摩耗損傷が開業7年目ころから増加してきた。レールは、当初採用されていた1メートル当り53キログラムのものから、山陽新幹線と同じ60キログラムに、また架線は合成コンパウンド方式から重コンパウンド方式(ヘビーコンパウンド方式)に強化することとし、1976年2月から1982年1月まで東海道新幹線を月に一度、半日運休して、軌道・架線などの若返り工事を行った。その結果ふたたび安定した輸送実績を回復している。その後も、列車を運休しての大掛りな保守工事を行うことが定着している。また、2002年(平成14)には、全国新幹線鉄道整備法の改正によりトンネルや橋梁等の大規模改修に備える引当金制度が創設され、初の対象としてJR東海が指定された。この制度による東海道新幹線の大規模改修工事期間は2013年4月から2023年3月までである。
[佐藤芳彦 2022年7月21日]
新幹線では、大規模地震発生時には、変電所の饋電(きでん)(電車線への電力供給)を停止させ、架線電圧ゼロを検知した列車は自動的に緊急ブレーキで停止するため、二次被害を最小限にできるしくみとなっている。東北・上越新幹線は、公害・雪害対策のほか、1978年の宮城県沖地震の教訓に基づいて、海岸沿いの地震観測点から電気連動して、迅速な予防・復旧措置がとれるよう設備の改良が行われた。さらに、阪神・淡路大震災、新潟県中越地震および東日本大震災などの経験から、構造物の耐震補強とあわせ、軌道には脱線防止ガードを設置し、車両には台車に逸脱防止ガイド(JR東日本、JR北海道、JR西日本)または逸脱防止ストッパ(JR東海、JR九州)を設け、脱線時にレールから大きく外れないようにして、対向列車との衝突防止を図っている。
[佐藤芳彦 2022年7月21日]
高速で走行すると車輪の上下・左右の運動が問題となり、最悪の場合、脱線やレールの損傷を招く。最適なレール頭面形状、車輪形状と台車構造をみいだすため、開発当時、鉄道技術研究所(現、JR総研)、車両設計事務所等が理論解析、実験および試作車による確認を行い、高速走行に適した車両、軌道およびそれぞれの保守基準をつくりあげた。車輪、車軸や台車の構造、寸法および材質は順次改良されている。
そうしたなかで、台車にかかわる重大インシデントが発生した。2017年12月11日山陽新幹線博多発東京行きの「のぞみ34号」は、博多駅発車直後から車内での異臭および床下からの異音等を認めたが、新大阪でJR東海乗務員に引き継ぎ、名古屋駅で点検したところ4両目前台車に油漏れを認め、その後の運転を中止。車両移動作業中に4両目前台車(東京寄り)の左側の側梁(がわばり)に亀裂が発見された。原因はメーカーにおいて作業指示書によらない作業が行われ、台車枠の強度低下をきたしたことであった。製造管理の徹底と磁粉探傷(じふんたんしょう)などの検査が勧告された。
東海道新幹線開業前に小田原近くの鴨宮(かものみや)実験線で各種試験が行われた際、トンネル通過時の耳ツン現象(気圧変化によっておこる耳の痛み)が問題となった。列車がトンネルに高速で進入すると車体断面に相当する空気が列車に押しのけられて、車体とトンネル側壁間に高速の空気流が発生し、空気流が車内の空気を吸い出そうとするために、車内の気圧が低くなることがわかった。この対策として、車体の気密構造が採用された。すなわち、車体各部の溶接は連続溶接とし、窓などのすきまはシール材で密閉、ドアは空気シリンダーで内側からドア枠に押し付けるようにした。車両間の貫通路の幌(ほろ)も気密構造とし、換気装置もトンネル通過時は閉め切るようになった。便所・洗面所の汚水は床下の密閉タンクに貯留し、気圧変化の影響を受けないようにした。
トンネルの比率の高い山陽新幹線開業までに車内の気圧を一定に保つ連続換気装置が開発された。すなわち、吸気、排気ともに高速回転型のファンを使用し、ファンの静圧を大きくすることで、車外の気圧変化の影響を受けないようにした。これらにより、耳ツンの問題は解決した。
海外の高速鉄道はトンネルが少ないこと、トンネル断面が大きいことから、トンネル内のみ換気装置を閉め切るようにしており、ドアも外開きプラグドアを採用している。
1995年(平成7)12月27日、東京発名古屋行き「こだま475号」に乗車していた高校生が三島(みしま)駅停車時間中にプラットホームの売店公衆電話で通話をし、発車ベルで列車に戻ろうとしたところドアに指を挟まれたが、列車はそのまま発車したため、高校生は指を挟まれたまま伴走し、転倒。プラットホーム端で転落して、車輪に頭部をひかれ即死するという事故が起こった。これは新幹線開業以来初の旅客死亡事故であり、ホーム柵(さく)やホームドアの設置、非常警報装置の取扱い変更などのほか、戸閉め直後のドア押さえ圧力を弱める対策がとられた。
前述の名古屋新幹線公害訴訟の後、沿線の騒音低減のため、車体の平滑化、機器冷却風取入れ口の形状変更、パンタグラフの数の削減・形状の変更・カバーの設置、連結部の車体全周を覆う幌の取付け、床下機器カバーの平滑化などが推進された。また、トンネル通過時に車両先頭部でトンネル内の空気を圧縮して出口で開放することにより生ずる音が問題となった。その低減のため、車体断面積の変化率をなるべく小さく、かつ一定にするべしとの理論が広く受け入れられ、列車の先頭形状が流線形からカモノハシなどの動物的なものとなった。
雪対策として、東北・上越新幹線の200系新幹線電車は床下機器をボディマウントで覆い、雪切り室を設けて機器の冷却風を取り入れる粉雪浸入防止法がとられた。この分の重量の増加を抑えて車両重量を60トンに収めるため、車体をアルミニウム合金製とした。JR東日本の400系やE1系は、機器の冷却風を車両の連結部分の上部から取り入れる構造として、雪切り室を廃止した。また、ボディマウントを廃止して、床下機器箱を集約し、下部を平滑にすることによって着雪を防ぐようにした。その後に開発されたJR東日本のE2系以降も同様の構造を採用している。
窓には、室内の結露防止と遮音のため、空気層を挟んだ複層ガラスが採用された。しかし、床下機器の雪塊が落下し、跳ね上げられたバラストにより窓ガラスが破損するなどしたため、ガラスの改良が進められ、ポリカーボネートとガラスを組み合わせたものが使用されるようになった。ただし、表面傷の発生は避けられないので、発生のつど交換している。また、交換を容易とするため、大窓から小窓に変わっている。
車体は、0系、100系、400系およびE1系は鋼製であったが、300系やE2系以後はアルミニウム合金製となった。
[佐藤芳彦 2022年7月21日]
高速走行のためのエネルギー供給には、交流25キロボルト電化が採用された。送電線から三相交流を受電し、特殊な変圧器で90度位相の異なる単相2組に変換し、上り線と下り線に別々に供給している。変電所は30キロから50キロメートルごとに設けられ、変電所と変電所の中間に電気的な境界を設けた(交交セクション。デッドセクションともいう)。変電所と変電所の供給電流に位相差があり、絶縁しないと短絡事故を引き起こす。したがって、交流電化区間を走行する列車はこのセクションの手前でモーター電流を切り(ノッチオフ)、セクション通過後に再加圧する。しかし、この方法ではノッチオフの時間が長くなり、加速できない。そのため、地上側の交交セクションの中間に切替えセクションを設けて、列車の進入を検知し、両側の饋電区間からの電流をスイッチで切り替えて、切替えセクションの停電時間を短くすることによって高速での走行を可能とした。これは日本オリジナルの技術である。
日本では東西で商用周波数が50ヘルツ、60ヘルツと異なる。東海道新幹線は60ヘルツを採用し、富士川以東は50ヘルツを受電して60ヘルツに変換している。電磁誘導による沿線への影響を少なくするため、変電所への帰線電流をBT(booster transformer、吸上げ変圧器)で吸い上げるBT饋電が採用された。山陽新幹線は単巻変圧器(AT:auto transformer)を用いて5万ボルトの両端を架線に接続し、中性点を帰線に接続するAT饋電を採用した。これにより、電磁誘導を減らし、変電所間隔をBTのほぼ倍の50キロメートルとした。
東海道新幹線で最初に走行した0系は16両編成にパンタグラフを8基搭載したが、架線摩耗と騒音が問題となったので、100系以降は特別高圧のケーブルを車両間に引き通して順次パンタグラフを減らし、現在は1編成に2基となっている。
架線は吊架線(ちょうかせん)の支持点における剛性変化を和らげるため、コンパウンド架線方式の吊架線と補助吊架線の間にダンパーを取り付けた合成コンパウンド架線を採用した。速度向上のため、トロリー線の波動伝播(でんぱ)速度を上げることとなり、トロリー線と吊架線の断面積を大きくし、トロリー線の張力を9.8キロニュートンから19.6キロニュートンと大きくした重コンパウンド架線が採用されるようになった。重コンパウンド方式では、吊架線と補助吊架線間のダンパーは省略された。さらに北陸新幹線長野開業からは、トロリー線の張力を19.6キロニュートンとしたシンプルカテナリー方式が採用されている。
[佐藤芳彦 2022年7月21日]
列車の安全を確保するため、線路を数百から1500メートルごとに電気的にくぎり、それぞれの区間で列車の進行する前方から2本のレールに電流を流して後方で電流のあるなしを検知する軌道回路システムが採用されている。この区間のことを閉塞(へいそく)区間といい、一つの閉塞区間には一つの列車しか入れないとのルールを定めている(閉塞方式)。一つの閉塞区間に列車が入れば、列車の車輪と車軸で両方の線路を電気的に短絡するので、電流が検知されず、その閉塞区間の後ろの閉塞区間に停止信号を表示する。電流があればその区間には列車がいないことが検知されるので、後ろの列車はその区間に入ることができる。
時速200キロメートルで走行する列車の運転士は地上の信号機を目で確認することができず、確認できたとしてもブレーキによる停止距離が3000メートル以上となるので、在来線のような地上信号機の目視運転では安全が保てない。そのため、軌道回路に流す電流を数百から数千ヘルツの高周波とし、それを10~100ヘルツで振幅を変化させ(振幅変調)、数段階の速度信号をつくり、車両に取り付けたアンテナ(受電器)で受信し、車上の受信器でどの速度に対応する信号かを解読する。車両の走行速度と比較して、速度が信号による指示速度を超過していれば、自動的にブレーキをかけ、指示速度以下になればブレーキを自動的に緩めるATC装置が開発された。指示速度は運転台に表示される(車内信号機)。先行列車のある閉塞区間の次の区間は時速70、その次は110、さらにその次は160、次の次は210キロメートルの速度信号を順次つくりだし、後続列車は最高速度から段階的に減速する。減速が不十分であるとブレーキ故障とみなして、ただちに非常ブレーキをかけて停止させる。軌道回路に電流を送り出す信号装置や車上の受信器、制御器は同じ機能を有する装置を二重あるいは三重に設けて、常時相互に機能チェックを行い、故障が検知されたときは、安全側に動作させるようにしている。また、軌道回路とレールは大地から絶縁し、信号電流が漏洩(ろうえい)して信号の誤動作を引き起こすことがないようにしている。
東北新幹線盛岡―八戸(はちのへ)間には、デジタルATCを導入し、2周波組合せでも数十種類の信号しか送れなかったアナログの振幅変調にかえて、デジタル技術によるMSK(minimum shift keying)変調で伝送速度64ビット毎秒、電文長75ビットと情報量を増やした。先行列車との間隔および目標速度を地上から車上に伝送し、車両側には、路線の曲線や勾配(こうばい)のデータをあらかじめ記憶させ、受信データと路線データから最適なブレーキ力を算出してブレーキ制御装置に指令する。これにより、列車全体のブレーキを最適化し、先行列車との間隔を狭めることができた。すなわち、速度向上と時間当りの列車本数増となった。このデジタルATCは他の新幹線にも導入された。
[佐藤芳彦 2022年7月21日]
CTC(列車集中制御)システムは、前記の軌道回路による列車位置情報が列車固有の列車番号とあわせて中央にある総合指令所に集約され、ディスプレーに表示されるとともに、各駅の分岐器も総合指令所からの遠隔制御となった。東海道新幹線および山陽新幹線は東京にある総合指令所で制御するが、非常時のバックアップとして大阪にも指令所を設けている。東北・上越新幹線以降も同様の考え方で東京に総合指令所を設けている。なお、九州新幹線の運行管理は福岡の総合指令所で行い、東京の総合指令所でモニターしている。現在はコンピュータによる列車運行管理システムが導入され、列車ごとに各駅の発着番線や進路設定を自動的に行っている。
列車制御にも、コンピュータによってCTCシステムの運転管理を合理的に行うコムトラック(新幹線運転管理システム)が開発された。これは、東海道・山陽新幹線が直通運転になってから、車両・信号・架線の故障が起こったとき、ダイヤの回復に長時間を要したことの反省から生まれたものであった。東北・上越新幹線、北陸新幹線、北海道新幹線および九州新幹線にも、コムトラックと同様のコンピュータによる列車運行管理システムが採用されている。
[佐藤芳彦 2022年7月21日]
400メガヘルツ帯を使用した列車無線システムが採用された。最初は空間波方式であったが、その後、漏洩同軸ケーブル(LCX)を全線に敷設して、トンネル内を含め安定した通信を可能としている。通信方式もアナログからデジタルに移行し、情報伝送量を増やし、車内でのWi-Fi(ワイファイ)も可能となっており、アナログ無線もデジタル無線に切り替わっている。さらにデジタル無線も移動体通信技術の進歩にあわせ、4G(第4世代)から5G(第5世代)への転換が見込まれる。
列車無線の副次的利用として、東海道新幹線では開業時から旅客が列車内の電話室から沿線大都市の加入者にかける一般通話が採用され、山陽新幹線にも拡大された。当時は100円硬貨専用で、ダイヤルはなく、交換手に相手先を口頭で伝えて接続するものであった。1982年開業の東北・上越新幹線はダイヤル自動発信の全国通話可能な電話が採用された。東海道・山陽新幹線でも、1989年にLCX敷設を受け、テレホンカード専用の自動車電話システムによるダイヤル自動発信の列車電話に切り替わったため、全国との通話が可能となった。2002年に東北・上越新幹線で、2009年に東海道新幹線でLCXがデジタル対応に交換され、列車内で公衆無線LAN(ラン)の使用が可能となった。また、携帯電話の普及により、列車電話の台数は順次削減され、2021年(令和3)6月30日に列車公衆電話サービスは終了した。LCX敷設後、107番を使った列車着信サービスもあったが、2004年6月30日にサービスを終了している。
[佐藤芳彦 2022年7月21日]
駅設備は、新幹線の乗客が効率よく乗降できるように在来線の乗降客と分離し、しかも在来線との乗換え、市内交通機関との連絡が便利な構造になっている。乗車券・特急券の販売は大型コンピュータによる座席予約システムであるマルス(MARS:Multi Access Reservation System)の使用により、ホテル宿泊券の指定や、プッシュホンやインターネットによる予約も可能である(2022年時点では「マルス505」が稼働)。さらに、インターネットとスマートフォンの普及に伴い、チケットレス化も進められている。また、自動改札が全面的に導入された結果、車内改札も自由席を除いて不要となった。
新幹線の中間駅は通過線を挟んで乗降用プラットホーム線が設けられ、旅客が通過列車に巻き込まれるリスクをなくしている。しかし、熱海(あたみ)駅は狭隘(きょうあい)な土地に建設され、通過線を乗降用プラットホームから離すことができなかったので、ホーム可動柵(プラットホーム・スクリーンドア)を設けて、旅客の安全を確保した。そのほか、新幹線建設費削減のため、東北新幹線の新設駅や整備新幹線に相対式の乗降用プラットホームのみの駅が建設されるようになり、ホーム可動柵が設置されるようになった。また、前述の三島駅で起きたような事故の対策として、新幹線のその他の駅にもホーム可動柵あるいは車両のドア位置対向部分のみを開口とした固定柵が設置されるようになった。
[佐藤芳彦 2022年7月21日]
1964年(昭和39)10月1日開業。東京―新大阪間515.4キロメートル、開業時は東京、新横浜、小田原、熱海、静岡、浜松、豊橋、名古屋、岐阜羽島(ぎふはしま)、米原、京都および新大阪の12駅であり、その後、品川、三島、新富士、掛川(かけがわ)および三河安城(みかわあんじょう)の5駅が設置された。車両基地は、東京(品川)、名古屋、大阪(鳥飼(とりかい))に、工場は浜松に設けられた。その後、三島および大井車両基地が新設され、品川は廃止された。軸重16トン、複線、曲線半径2500メートル、軌道中心間隔4.2メートル、最急勾配1000分の15、縦曲線半径1万メートルの規格で建設され、路盤274キロメートル、高架・橋梁区間176キロメートル、トンネル69キロメートルである。全線バラスト軌道を敷設している。交流25キロボルト、60ヘルツ、BT饋電方式で電化され、富士川以東は50ヘルツを60ヘルツに変換している。開業時は、全電車方式の0系12両編成で、速達列車の「ひかり」と各駅停車列車の「こだま」がそれぞれ1時間間隔で運転された。東京―新大阪間はひかり4時間、こだま5時間であったが、開業1年後にはひかり3時間、こだま4時間運転となった。
国鉄の分割・民営化によりJR東海が事業者となり、1992年(平成4)3月14日より東海道・山陽新幹線の第3世代の電車として300系が登場し、東京―新大阪間を2時間半、最高時速270キロメートルで運転できる列車が設定され、「のぞみ」と命名された。量産車の整備ができた1993年3月のダイヤ改正からは東京―博多間を5時間04分で運転、さらに山陽新幹線では1997年3月からJR西日本の開発した最高時速300キロメートルを誇る500系「のぞみ」が運転を開始した。同年11月からは東海道新幹線でも500系「のぞみ」の運行が始まり、東京―博多間の所要時間は最短4時間49分となった。ただし、東海道新幹線内は最高時速275キロメートルである。2012年(平成24)3月のダイヤ改正で、東海道新幹線の列車は、すべて700系、N700系およびN700A系となり、最高運転速度を時速285キロメートルに引き上げ、500系は山陽新幹線のみの運行となった。新たに開発されたN700S系が2020年(令和2)7月1日から営業運転を開始し、2023年までに16両40編成の投入が計画されている。これにより、700系およびN700系は東海道新幹線からは引退する。
2019年度の輸送量は、旅客人キロ540億0896万人キロ、平均通過旅客数26万7039人・日キロである。全列車16両編成で運行され、座席数は、普通車13両(うち自由席3両、1119人)、グリーン車3両(200人)の編成では計1319人分あり、これだけの座席数の列車は、世界でも他に類をみない。しかも東海道新幹線区間では1日291列車もダイヤ設定され、どの列車もほぼ同一性能で、最高時速は285キロメートルの高速である。東京発の列車は「のぞみ」を主として、1時間最大15本という通勤電車に相当する頻度で長大編成の高速列車群を運転しており、このような鉄道は、世界でも東海道新幹線だけである。
[佐藤芳彦 2022年7月21日]
東海道新幹線の完成に続いて、1965年、国鉄第三次長期計画による新大阪―博多間の山陽新幹線が計画された。第1期工事として新大阪―岡山間が1967年に着工され、1972年3月15日に営業を開始した。岡山までの開通後、第一次オイル・ショックが起こり、インフレが進行したため、工事進行は計画より遅れ、博多までの全線が開業したのは1975年3月10日である。
新大阪―博多間553.7キロメートル、最高時速は300キロメートル。開業時は新大阪、新神戸、西明石(にしあかし)、姫路、相生(あいおい)、岡山、新倉敷(しんくらしき)、福山、三原、広島、新岩国、徳山、小郡(おごおり)(現、新山口)、新下関、小倉(こくら)および博多の16駅であり、その後、新尾道(しんおのみち)、東広島および厚狭(あさ)の3駅が設置された。また、博多車両基地内に博多南駅が設けられ、基地回送列車を利用して博多との間で特急料金不要の列車を運行している。車両基地は、岡山、広島および博多に設けられ、博多は仕業・交番検査から全般検査まで実施する総合車両所となっている。軸重16トン、複線、曲線半径4000メートル、軌道中心間隔4.3メートル、最急勾配1000分の15、縦曲線半径1万5000メートルの規格で建設され、路盤70キロメートル、高架橋161キロメートル、橋梁51キロメートル、トンネル280キロメートルである。橋梁区間は有道床軌道とし、騒音対策とした。60キログラムレールを採用し、新大阪―岡山間はバラスト軌道であるが、岡山―博多間はスラブ軌道を採用した。交流25キロボルト、60ヘルツ、AT饋電、重コンパウンド架線方式で電化された。小倉―博多間は炭鉱地帯を走行し、地下坑道の陥没も見込まれ、開業から1年間は徐行運転により路盤が安定するのを待った。
国鉄の分割・民営化によりJR西日本が事業者となり、JR東海との境界は東京起点から518.202キロメートルの地点である。2019年度の輸送量は、旅客人キロ193億2470万人キロ、平均通過旅客数8万1987人・日キロであり、列車は東海道新幹線との相互直通運転列車「のぞみ」および「ひかり」、九州新幹線との相互直通運転列車「みずほ」「さくら」および「つばめ」のほか、山陽新幹線内区間列車「こだま」がある。東海道新幹線との直通列車はJR東海と共通の16両編成、その他の列車は6両または8両編成であり、普通車指定席を2+2列としている。
[佐藤芳彦 2022年7月21日]
東北新幹線は、上越新幹線とともに1971年に着工され、1982年6月23日に大宮―盛岡間が開業したが、上野への乗入れは、用地の手当て、公害対策などでさらに遅れ、1985年3月14日に実現した。東北新幹線の上野―大宮間の建設に際し、新幹線と併設する形で赤羽―大宮間に通勤新線が建設され、赤羽線および川越線と接続され埼京線となった。上野―大宮間については、沿線の環境に配慮して最高運転速度を時速110キロメートルとされた(騒音対策工事完了後の2021年3月より、埼玉県内では時速130キロメートルに引上げ)。2002年12月1日には東北新幹線の盛岡―八戸間96.6キロメートルが延長開業、その後、2010年12月4日には八戸―新青森間81.8キロメートルが開業した。
東京―新青森間674.9キロメートル、東京、上野、大宮、小山(おやま)、宇都宮(うつのみや)、那須塩原(なすしおばら)、新白河(しんしらかわ)、郡山(こおりやま)、福島、白石蔵王(しろいしざおう)、仙台、古川(ふるかわ)、くりこま高原、一ノ関、水沢江刺(みずさわえさし)、北上、新花巻(しんはなまき)、盛岡、いわて沼宮内(ぬまくない)、二戸(にのへ)、八戸、七戸十和田(しちのへとわだ)および新青森の23駅があり、大宮で上越新幹線と、福島で山形新幹線と、盛岡で秋田新幹線と、新青森で北海道新幹線と接続している。
車両基地は、上野、小山、仙台および盛岡に設けられ、仙台は仕業・交番検査から全般検査まで実施する総合車両所となっている。このほかに、新青森に盛岡新幹線車両センターの派出所が、那須塩原に電留線(電車の留置のための設備)が設けられている。軸重17トン、複線、曲線半径4000メートル、軌道中心間隔4.3メートル、最急勾配1000分の20、縦曲線半径1万5000メートルの規格で建設され、路盤51キロメートル、高架橋313キロメートル、橋梁79キロメートル、トンネル235キロメートルである。60キログラムレール、スラブ軌道とあわせ、除雪した雪を高架橋にため込む貯雪構造を採用した。交流25キロボルト、50ヘルツ、AT饋電、重コンパウンド架線方式で電化された。
車両は耐寒耐雪構造の200系12両編成を使用し、時速210キロメートルでの運転を行い、速達列車の「やまびこ」と各駅停車列車の「あおば」の2種類であった。大宮開業時は、上野―大宮間には185系電車14両の新幹線リレー号を30分間隔で運行した。1991年6月20日、東北・上越新幹線の上野―東京間3.6キロメートルが開通し、東京駅で東海道新幹線列車と同じレベルのプラットホームで列車の相互乗換えが可能となった。開業時は12両編成対応のプラットホームは1面2線しか確保できなかったので、列車発着本数が制約され、一部列車は上野駅まで引き上げて折返し整備を行った。
当時、首都圏の地価上昇に伴い、遠距離通勤が拡大し、税制改正もあって新幹線通勤定期券がJR東日本でも月2万枚以上売れていた。東京駅の構造は激増する通勤輸送のための増発や増結を困難としていた。このため、全2階建て新幹線電車E1系(時速240キロメートル)が開発された。12両編成で200系16両分の座席を提供することができた。通勤を主目的としたので、一部自由席は3+3人掛けの座席配置とし、方向転換を自動で行うようにして、折返し時間を短縮していた。
1997年の北陸新幹線開業にあわせて、東京駅の中央線プラットホームをかさ上げし、空いたスペースに山手線内回りと京浜東北線北行(大宮方面行き)を移し、山手線外回り、京浜東北線南行(大船方面行き)、東海道本線のプラットホームを順次移設して、生み出したスペースに新幹線用1面2線を新設し、プラットホームの長さも16両対応とした。これにより、東京駅発着の列車本数を増やすことができた。同時に200系の後継としてE2系が開発され、時速275キロメートル運転による時間短縮が図られた。さらに、通勤時間帯の輸送力増強のため、E1系の増備として、全2階建て新幹線電車E4系(時速240キロメートル)が開発され、基本8両編成、2編成連結16両で座席数は1634人分となった。これは、世界最大の輸送力であったが、東北新幹線での定期運行は2012年9月に終了し、上越新幹線からも2021年10月に引退した。
2016年3月26日には北海道新幹線の新青森―新函館北斗間148.8キロメートルが開業し、新青森で東北新幹線と接続。最高時速320キロメートルのE5系およびH5系(愛称「はやぶさ」)により、東京―新函館北斗間823.7キロメートルは最短4時間02分で結ばれた。なお、青函(せいかん)トンネルは、建設当初から北海道新幹線の走行も考慮し、大断面のトンネルを採用していた。北海道新幹線開業のため、貨物列車の走行も可能な標準軌と狭軌の3線軌条区間としている。
2022年時点の東北新幹線の最高速度は、東京―大宮間時速130キロメートル、大宮―宇都宮間時速275キロメートル、宇都宮―盛岡間時速320キロメートル、盛岡―新青森間時速260キロメートルである。
2019年度の輸送量は、旅客人キロ154億9015万人キロ、平均通過旅客数5万9301人・日キロであり、E2系およびE5系10両編成単独あるいはミニ新幹線用E3系またはE6系と連結した最大17両編成が運行されている。2012年9月までE4系による16両編成あるいはE4系8両とE3系7両の連結運転も行われていた。
通過駅の多い速達列車の「はやぶさ」および「はやて」、速達列車の「やまびこ」および、各駅停車列車「なすの」が運転されている。「はやぶさ」の一部列車は東京―盛岡間を秋田新幹線「こまち」と連結して、「やまびこ」の一部列車は東京―福島間を山形新幹線「つばさ」と連結して走行している。E5系とH5系にはグリーン車よりもグレードアップした、2+1列座席、軽食サービスつきのグランクラスを1両連結している。10両編成の定員は、グランクラス車18、グリーン車55、普通車650の計723となっている。
[佐藤芳彦 2022年7月21日]
上越新幹線は、東北新幹線と同時の1971年に着工され、1982年11月15日には上越新幹線の大宮―新潟間が営業運転を開始した。
大宮―新潟間269.5キロメートル、開業時は大宮、熊谷(くまがや)、高崎、上毛高原(じょうもうこうげん)、越後湯沢、浦佐、長岡、燕三条(つばめさんじょう)および新潟の9駅であり、その後、本庄早稲田(ほんじょうわせだ)が新設された。大宮で東北新幹線と、高崎で北陸新幹線と接続している。北陸新幹線が金沢へ延伸される前は、高規格化された北越北線(現、北越急行ほくほく線)と越後湯沢で接続し、富山および金沢へのルートを形成していた。北越北線は狭軌の単線電化線であるが、時速160キロメートル運転を行った。また、越後湯沢の保線基地を活用し、スキー場と直結するガーラ湯沢駅を設置。冬季のみ東京からの直通列車を運行している。
車両基地は、新潟に設けられ、台車検査と全般検査は仙台で実施している。建設規格および電気方式は東北新幹線と同じである。路盤3キロメートル、高架橋132キロメートル、橋梁33キロメートル、トンネル107キロメートルである。60キログラムレール、スラブ軌道の採用とあわせ、温水による融雪設備を設けている。
上越新幹線の最高速度は、200系を使用しての時速275キロメートル運転も行われたが、現在は、大宮―新潟間時速240キロメートルである。
2019年度の輸送量は、旅客人キロ48億2515万人キロ、平均通過旅客数4万3424人・日キロであり、E2系10両編成、E4系8両または16両編成が運行していたが、順次E7系12両編成に置き換わっている。なお、全2階建て車両E4系は、東北新幹線定期運行終了後も上越新幹線で運転されていたが、2021年10月に引退した。
通過駅の多い速達列車「とき」および各駅停車列車「たにがわ」が運転されている。E7系の定員は、グランクラス車18、グリーン車63、普通車843の計924となっている。
[佐藤芳彦 2022年7月21日]
JR東日本では在来線を新幹線と同じ軌間に改軌または併設して、東北新幹線から直通運転できるようにし、1992年7月1日に奥羽(おうう)本線の福島―山形間87.1キロメートルに山形新幹線(愛称「つばさ」)が、さらに1997年3月22日に田沢湖(たざわこ)線・奥羽本線の盛岡―秋田間127.3キロメートルに秋田新幹線(愛称「こまち」)が開業した。ミニ新幹線とよばれるこの方式は、在来線の線形および施設構造物を基礎にした線路改良であるため、建設投資は少なくてすむが、この区間の列車走行速度は在来線なみに抑えられる。これにより、東京―山形間は最短2時間27分、東京―秋田間は3時間49分で結ばれることになった。1999年12月4日に山形新幹線は新庄まで61.5キロメートル延伸された。
山形新幹線開業のため、「つばさ」用に車体長20メートル、車体幅2.9メートルの400系6両編成が開発され、東北新幹線上は単独もしくは200系またはE4系と連結して運転された。旅客が増えたことから7両編成となり、2010年4月までにE3系7両編成に置き換えられた。最新のE3系の定員は、グリーン車23および普通車371の計394である。2024年から最高時速300キロメートルのE8系に置き換えられる計画である。定員は普通車329、グリーン車26の計355である。
秋田新幹線「こまち」用には、車体長20メートル、車体幅2.9メートルのE3系5両編成が開発され、使用された。旅客が増えたことから6両編成となり、東北新幹線上はE2系またはE5系と連結して運転されたが、速度向上のため、2014年3月に時速320キロメートルのE6系7両編成に置き換えられた。定員は、グリーン車22および普通車310の計332である。
[佐藤芳彦 2022年7月21日]
1997年10月1日に高崎―長野間117.4キロメートルが長野新幹線として開業、東京―長野間を最短1時間23分で結んだ。2015年3月14日には、長野―金沢間228.0キロメートルが開業し、本来の名称である北陸新幹線に改称した。東京―金沢間を最短2時間27分で結ぶ。
計画当初は高崎―軽井沢間がフル規格、軽井沢―長野間がミニ新幹線であった。1990年に1998年の冬季オリンピック長野大会開催決定を受け、フル規格に計画が変更された。東京から北陸方面へは上越新幹線と北越北線(現、北越急行ほくほく線)の乗継ぎで結ぶことが考えられ、魚津(うおづ)―糸魚川(いといがわ)間および高岡―金沢間を高規格新線とするスーパー特急方式が計画された。しかし、1997年3月からなし崩し的に長野からフル規格での新幹線延伸とスーパー特急区間のフル規格化が進められた。上越新幹線高崎駅から時速160キロメートルの分岐器で分岐する。
高崎―金沢間345.4キロメートル、高崎、安中榛名(あんなかはるな)、軽井沢、佐久平(さくだいら)、上田、長野、飯山(いいやま)、上越妙高(じょうえつみょうこう)、糸魚川、黒部宇奈月温泉(くろべうなづきおんせん)、富山、新高岡および金沢の13駅が設けられ、上越妙高がJR東日本とJR西日本との境界となっている。並行在来線の信越本線のうち、軽井沢―篠ノ井(しののい)間および長野―妙高高原間は「しなの鉄道」に、妙高高原―直江津(なおえつ)―市振(いちぶり)間は「えちごトキめき鉄道」に、市振―石動(いするぎ)間は「あいの風とやま鉄道」に、石動―金沢間は「IRいしかわ鉄道」に譲渡された(いずれも第三セクター鉄道)。
車両基地は、長野、白山(はくさん)に設けられ、白山はJR西日本所有車両の検査を行う総合車両所となっている。JR東日本所有車両の台車検査と全般検査は仙台で実施している。複線、曲線半径4000メートル、軌道中心間隔4.3メートル、最急勾配1000分の30、縦曲線半径1万5000メートルの規格で建設され、路盤23キロメートル、高架橋124キロメートル、橋梁44キロメートル、トンネル166キロメートルである。60キログラムレール、スラブ軌道を採用し、高崎―長野間は貯雪式、長野―金沢間は貯雪式とあわせ、側方排雪高架橋、温水による融雪などの雪対策を実施している。交流25キロボルト電化であるが、国内の商用周波数50ヘルツと60ヘルツの境界を走行するため、軽井沢、佐久平間で50ヘルツから60ヘルツに、上越妙高、糸魚川間で50ヘルツに、糸魚川、黒部宇奈月温泉間でふたたび60ヘルツに切り替えている。
東京からの直通列車のほか、線内の折返し列車が運行されている。車両は、高崎―長野間開業時には50/60ヘルツ両用のE2系8両編成を使用していたが、金沢開業にあわせ、JR東日本とJR西日本共同開発のE7系およびW7系12両編成に置き換えられた。E7系はJR東日本、W7系はJR西日本所有である。2019年10月13日、台風19号による大雨で千曲(ちくま)川の堤防が決壊し、長野車両基地に留置していた10編成(120両)が水没し廃車となった。車両不足を補うため、上越新幹線のE4系の取替えを遅らせて、上越新幹線用に発注していたE7系を一時的に転用した。
2019年度の輸送量は、JR東日本区間旅客人キロ22億0945万人キロ、平均通過旅客数3万4126人・日キロ、JR西日本区間12億8547万人キロ、2万0832人であり、E7系およびW7系12両が運行されている。
列車は「かがやき」「はくたか」「あさま」および「つるぎ」の4種類が運転され、同じ愛称の列車であっても停車駅が異なる場合がある。なお、「あさま」は東京―長野間、「つるぎ」は富山―金沢間の列車である。
現在、金沢―敦賀間125キロメートルが2024年開業をめどに建設工事中である。路盤2キロメートル、橋梁15キロメートル、高架橋59キロメートル、トンネル38キロメートルで、小松、加賀温泉、芦原温泉(あわらおんせん)、福井、越前たけふ、および敦賀に駅が設置される。並行在来線の北陸本線金沢―大聖寺(だいしょうじ)間は「IRいしかわ鉄道」に、大聖寺―敦賀間は「ハピラインふくい」に譲渡され、それぞれの会社により運営される(いずれも第三セクター鉄道)。
敦賀と大阪を結ぶルートについて、2016年12月の与党整備新幹線建設推進プロジェクトチームは、小浜(おばま)・京都ルートを決定し、鉄道・運輸機構に詳細調査が依頼されている。
[佐藤芳彦 2024年1月18日]
1972年6月に鹿児島ルートが基本計画に記され、追いかけて12月に長崎ルート(西九州ルート)が加えられ、1973年11月に整備計画が決定した。工事計画認可に向けて建設費の圧縮が議論され、1991年9月に八代(やつしろ)―西鹿児島間暫定整備として着工に至り、博多―八代間は在来線利用のため、狭軌車両が新線に直通して時速200キロメートル程度で走行するスーパー特急方式が選択された。しかし、スーパー特急方式では山陽新幹線との直通運転ができないとの問題があり、2001年4月にすべてフル規格で建設されることになった。JR九州が事業者であり、JR西日本との境界は博多駅から南へ約8キロメートルの地点である。
2004年3月13日に九州新幹線の新八代―鹿児島中央(西鹿児島を改称)間126.8キロメートルが開業した。新八代で在来線特急列車を新幹線と同じプラットホーム発着として利便性を確保した。2011年3月12日の博多―新八代間130.0キロメートルの開業により、博多―鹿児島中央間は最短1時間19分となった。
博多―鹿児島中央間256.8キロメートル、博多、新鳥栖(しんとす)、久留米(くるめ)、筑後船小屋(ちくごふなごや)、新大牟田(しんおおむた)、新玉名(しんたまな)、熊本、新八代、新水俣(しんみなまた)、出水(いずみ)、川内(せんだい)および鹿児島中央の12駅が設けられた。
車両基地は、新八代―鹿児島中央開業時に川内に設けられたが、博多開業に伴い熊本に総合車両所を設置し、川内は電留線扱いとなった。軸重16トン、複線、曲線半径4000メートル、軌道中心間隔4.3メートル、最急勾配1000分の35、縦曲線半径1万5000メートルの規格で建設され、路盤28キロメートル、橋梁20キロメートル、高架橋76キロメートル、トンネル125キロメートルである。交流25キロボルト、60ヘルツで電化している。
2019年度の輸送量は、旅客人キロ19億5035万人キロ、平均通過旅客数1万8445人・日キロであり、JR九州オリジナルの800系6両編成とJR西日本と共通仕様のN700A系8両編成が運行されている。山陽新幹線との相互直通運転にはおもにN700A系が使用されている。
山陽新幹線直通列車「みずほ」と「さくら」、九州新幹線内各駅停車列車「つばめ」が運転されている。
[佐藤芳彦 2022年7月21日]
いわゆる長崎新幹線であり、1998年2月にルートが公表され、1999年9月に鹿児島ルートとの結節点として新鳥栖駅の設置が与党において決められた。2008年に武雄温泉(たけおおんせん)―諫早(いさはや)間はスーパー特急方式で計画されたが、2012年6月にフル規格とすることが決まり、着工された。当初は地元負担や並行在来線問題で、標準軌と狭軌両方の走行が可能なフリーゲージトレイン(FGT:free gauge train)導入を前提とした。FGTは、日本鉄道建設公団がFGT研究開発組合に委託し、JR総研が1994年から開発を進めていたものである。FGT導入時の長崎ルートの列車は、博多―新鳥栖間は新幹線、新鳥栖―武雄温泉間は在来線、武雄温泉―長崎間は新幹線を走行する計画であった。しかし、技術上の問題解決の見通しが得られないとして、2018年8月に与党整備新幹線建設推進プロジェクトチームは長崎ルートへのFGT導入を断念した。この結果、佐賀県内のルートは白紙となり、地元負担を含めた議論が続いている。
武雄温泉―長崎間66.0キロメートル、うち路盤5キロメートル、橋梁7キロメートル、高架橋14キロメートルおよびトンネル41キロメートル。武雄温泉、嬉野温泉(うれしのおんせん)、新大村、諫早および長崎の5駅が設けられ、2022年9月23日に開業した。車両基地は新大村に設けられた。列車は「かもめ」6両編成で、武雄温泉駅で博多からの在来線特急列車と同一ホームで乗り換える。
西九州新幹線開業に伴い、並行在来線の長崎本線肥前山口(ひぜんやまぐち)―諫早間60.8キロメートルの鉄道施設は第三セクターの一般社団法人佐賀・長崎鉄道管理センター(佐賀県鹿島(かしま)市)が保有し、JR九州は施設を借り受けて列車を運行する上下分離方式で、運賃体系は維持することとされた。これにより、当該区間のうち肥前浜―長崎間は非電化となり、博多―肥前浜間の直通列車を除き、列車系統は肥前山口を境に分離された。同時に肥前山口は江北(こうほく)に改称された。
[佐藤芳彦 2024年1月18日]
1972年6月に青森―札幌間の整備が決定した。2005年5月に新青森―新函館(開業時は新函館北斗)間が着工され、2016年3月26日に現在の新青森―新函館北斗間148.8キロメートルが開業した。うち、路盤10キロメートル、橋梁6キロメートル、高架橋35キロメートル、トンネル97キロメートルである。このうち、1988年3月13日に開業した青函トンネルは、建設当初から北海道新幹線の走行も考慮して、大断面のトンネルを採用し、貨物列車の走行も可能な標準軌と狭軌の3線軌条区間としている。貨物列車とのすれ違い時の安全確保のため、新幹線列車の運転速度は、当初は時速140キロメートルに制限されていたが、2019年からは時速160キロメートルとしている。新青森、奥津軽(おくつがる)いまべつ、木古内(きこない)および新函館北斗の4駅が設置された。車両基地は函館に設けられた。北海道旅客鉄道(JR北海道)が事業者である。
北海道新幹線内は最高時速260キロメートルであるが、E5系およびH5系(愛称「はやぶさ」)により、東京―新函館北斗間823.7キロメートルは最短4時間02分で結ばれ、2021年からは3時間57分となった。なお、新函館北斗駅と在来線函館駅とは在来線の「はこだてライナー」が運行され、15~22分で結ぶ。
新函館北斗―札幌間211.5キロメートルは、2012年6月に着工し、2015年1月の政府・与党申合せにおいて当初予定の2035年開業を5年前倒しし、2030年度末とした。路盤11キロメートル、橋梁4キロメートル、高架橋27キロメートルおよびトンネル169キロメートルであり、新函館北斗、新八雲(しんやくも)、長万部(おしゃまんべ)、倶知安(くっちゃん)、新小樽(しんおたる)および札幌の6駅が設置される。札幌に電留線が設置される計画である。
[佐藤芳彦 2022年7月21日]
新幹線に対する世界各国の高い評価は、先進国において斜陽化していた鉄道事業見直しの気運を招いた。
東海道新幹線開業に刺激を受けた欧米各国の鉄道は、高速列車の開発に取り組み、1970年代後半に機関車牽引(けんいん)列車による在来線での時速200キロメートル運転を実現した。高速専用線の建設とあわせて新型高速列車を投入したのは、フランスのTGVがヨーロッパ最初である。1981年開業の南東線で、パリ―リヨン間を最高時速260キロメートル(のち時速270キロメートル)で結び、その後、大西洋線、北ヨーロッパ線、地中海線、東ヨーロッパ線などを開業した。ヨーロッパではフランス以外に、ドイツ(ICE(イーツェーエー))、イタリア(ペンドリーノ)、スペイン(AVE(アベ))、スウェーデン(X2000)などで高速新線が開業している。イギリスは在来線改良と新型列車(インターシティー125)投入で、時速200キロメートル運転を実現し、1994年11月からはロンドンとパリおよびブリュッセルを結ぶユーロスターが運行されるようになった。2007年11月にイギリス内の高速新線(ハイスピード1)が開業し、イギリス内でも時速300キロメートル運転が行われるようになった。
ヨーロッパの高速列車の特徴は、既存の標準軌のネットワークを活用し、輸送のネックとなる区間のバイパスとして高速列車専用線を建設していることである。これにより、既存のターミナル駅を使用して利便性向上と建設費抑制を図り、在来線を含めた高速列車ネットワークを拡大している。また、ヨーロッパ連合(EU)では、域内の国境を越えた高速列車の相互直通運転も行われるようになり、技術基準統一のためEU指令相互直通運転技術仕様(TSI:Technical Specification for Interoperability)が制定され、それを補強するヨーロッパ規格(EN:European Standards)が整備されている。また、それぞれの規格を統一するとともに、ヨーロッパ共通の列車運行管理システム(ERTMS:European Rail Traffic Management System)、列車制御システム(ETCS:European Train Control System)、列車無線システム(GSM-R:Global System for Mobile communications-Railway)が開発された。EUは、ヨーロッパ主要都市を時速250~300キロメートルの高速鉄道で結ぶ「ヨーロッパ高速鉄道整備計画」を推進している。しかし、1991年から進められた鉄道改革の結果、これまで高速列車が担ってきた都市間輸送は新規鉄道事業者やLCC(ローコストキャリア)、さらには高速バスなどとの間に、速度よりも運賃をめぐる競争が繰り広げられるようになった。一方で、脱炭素化のため、航空路線を高速列車で代替する動きもある。
ヨーロッパ以外でも、韓国、台湾、トルコなどが高速鉄道を開業し、中国も2020年末まで3万8000キロメートルを建設し、在来線の高速化(時速200キロメートル以上)とあわせて高速列車ネットワークを整備している。このほか、インド、ブラジル、マレーシア、ベトナム、インドネシアなどの世界各国に高速鉄道建設計画があり、高速旅客列車のみをシステム化した新幹線方式は、世界の主要都市を結ぶ大量輸送機関としての声価を高めてゆくものと期待されている。
[佐藤芳彦 2022年7月21日]
『海外鉄道技術協力協会編『THE SHINKANSEN――イラストでみる新幹線の技術』(1980・オーム社)』▽『新幹線運転研究会編『新幹線』新版(1984・日本鉄道運転協会)』▽『佐藤芳彦著『世界の高速鉄道』(1998・グランプリ出版)』▽『松本雅行著『電気鉄道』(1999・森北出版)』▽『日本機械学会編『高速鉄道物語――その技術を追う』(1999・成山堂書店)』▽『高橋団吉著『新幹線をつくった男 島秀雄物語』(2000・小学館)』▽『高速鉄道研究会編著『新幹線 高速鉄道技術のすべて』(2003・山海堂)』▽『佐藤芳彦著『新幹線テクノロジー――0系から800系九州新幹線の高速車両技術』(2004・山海堂)』▽『国土交通省運輸安全委員会編「鉄道重大インシデント調査の経過報告について」(2018・国土交通省)』▽『鶴通孝著『整備新幹線――紆余曲折の半世紀』(2019・鉄道ジャーナル社)』▽『日本鉄道電気技術協会編『鉄道信号技術』(2020・オーム社)』▽『佐藤芳彦著『図解 TGV vs. 新幹線――日仏高速鉄道を徹底比較』(講談社・ブルーバックス)』
最高速度200km/h以上の高速運転を行う日本の幹線鉄道。その建設は1940年における東京~下関間新幹線増設工事(弾丸列車計画)に端を発する。当時の日本では狭軌(1067mm)による鉄道路線網がほぼ完成していたが,東海道・山陽本線の輸送力拡充,さらに大陸との連絡という壮大な目的の下に新たに標準軌(1435mm)による新線計画が進められることとなった。この計画は工期15年,東京~下関間9時間以内,将来の最高速度200km/h,道路とは立体交差というもので,現在の新幹線の考え方に近い。用地約80km分を取得し,新丹那トンネルの掘削などが始まったが,太平洋戦争の戦局悪化で43年に工事は中止された。戦後,東海道本線は日本経済の復興に伴い輸送力の限界に近づきつつあったが,その増強については建設費が巨額でかつその輸送形態が国内の交通政策に影響を及ぼすことから,政府で取り扱う問題となった。国鉄(現JR)は当時の総裁十河信二を中心に新しい高速鉄道の必要性を強調したが,高速道路計画の進みつつあった世情の中では不要論が多数であった。しかし,しだいにその高い輸送効率と経済性が認識されて,58年には新幹線の建設について閣議了解が得られ,翌年に着工,64年10月に東海道新幹線の東京~新大阪間が開業となった。引き続き山陽新幹線も67年に着工され,72年3月に新大阪~岡山間,75年3月に岡山~博多間がそれぞれ開業した。82年6月東北新幹線の大宮~盛岡間が,同年11月上越新幹線の大宮~新潟間(それぞれ85年3月上野まで,91年6月東京まで延長)が開業した。97年10月には北陸新幹線の高崎~長野間が開業した。
東海道新幹線は高速,安全でかつ輸送効率の高い合理的な輸送システムとして今後の鉄道のあるべき姿を示したといえる。当初,新幹線の建設は在来線の増強という考え方であったが,その高い利便性から新幹線網を整備して主要都市を高速で結べば,国土が効率的に活用でき,生活領域の拡大と経済の発展にきわめて有効であると考えられるようになった。このような考えの下に国鉄は1967年全国新幹線と通勤新幹線の構想を発表したが,69年には経済企画庁で国土開発の根幹として新幹線網の整備を盛り込んだ新全国総合開発計画がまとめられ,閣議決定された。70年には〈全国新幹線鉄道整備法〉が成立し,現在,新幹線の建設はこの法律に基づいて行われている。同法では新幹線の定義を〈その主たる区間を列車が200km/h以上の高速度で走行できる幹線鉄道〉としている。新幹線建設にあたっては,まず運輸大臣が建設を開始すべき路線を定める基本計画を決定する。次に建設主体(日本鉄道建設公団その他)において路線の建設に必要な調査を行い,その結果,走行方式,建設費などを定めた整備計画が決定される。その後運輸大臣より建設の指示がなされると,建設主体は工事実施計画を作成し,認可を得て着工することになる。しかし国鉄改革後,JRの経営を悪化させないことや公的な助成にも限界がある中で全国に高速鉄道網を普及させるため,従来の新幹線(フル規格)のほか,標準軌新線(ミニ新幹線)と新幹線鉄道規格新線(スーパー特急)を組み合わせて建設を行う方式が91年から採用された。現在,東北新幹線の盛岡~八戸間(2002年開業,10年新青森まで延長),秋田新幹線の盛岡~秋田間(1997年開業),山形新幹線の福島~山形間(92年開業,99年新庄まで延長),北陸新幹線の糸魚川~魚津間と石動~金沢間,九州新幹線の八代~西鹿児島間(2004年新八代~鹿児島中央間として開業,11年博多まで延長)などがこうした方式を中心として整備を行っている。
欧米では日本の新幹線開業前から鉄道の速度向上に関心がもたれ,1955年にはフランスの高速試験で331km/hの最高速度が記録されたりしたが,日本の新幹線の成功によって高速鉄道の開発がより活発になった。日本との違いは,欧米では軌間が1435mmであるため車両性能の向上と軌道強化によって,在来線のまま高速化が可能となることである。また新線建設の際も同一軌間のため在来線との直通が可能となり,駅の新設も少なくてすみ工事費が安くなる。車両は在来線規格で作られるため日本の新幹線より小型,軽量で乗車定員が少なく,また保守上有利な機関車タイプの動力集中方式が主流である。フランスは67年より200km/h運転を開始したが,81年にはパリ~リヨン間旅客専用新線389kmのうち273kmを完成させ,編成両端に電動車をもつTGV(Train à Grande Vitesseの略)による260km/h運転を開始した。この南東線の速度は,のちに270km/hに向上した。また89年にはパリ~ル・マン間の大西洋線,93年にはパリ~リール間の北ヨーロッパ線が開通し,300km/hの運転を開始した。ドイツは78年より200km/h運転を開始したが,91年にはハノーファー~ビュルツブルク間の新線などを使ってICEという高速列車を280km/hで運転している。イタリアはローマ~フィレンツェ間の新線254kmのうち122kmを完成させたが,200km/h運転は行われていない。
執筆者:大石 寿一
200km/hを超す高速運転を前提とした新幹線では,安全性の確保のため,人間の過失の入る余地を少なくするとともに,重要な機械は二重系,三重系とし,故障発生時には設備が列車を停止させる方向,すなわち安全側に働くようフェールセーフの原理がとり入れられている。また線路をはじめとする各種の施設や設備,車両,運転方式も,高速運転に適したものが採用されており,これらが在来の鉄道と比較した場合の特色を形成している。
軌間は在来線が1067mmであるのに対し,1435mmの標準軌を採用して高速走行時の安定性を高め,最急こう配も東海道新幹線で20‰,山陽新幹線以降は15‰にとどめ,また曲線通過の際の減速を少なくするとともに良好な乗りごこちが保てるように,曲線半径は駅前後などのやむをえない場合を除いて前者が2500m以上,後者は4000m以上としている。レールは60kg/mの重いものを用い(在来線では50kg/mまたは40kg/m),列車通過時に衝撃をおこす継目を減らすため,溶接によって1~1.5kmの長さのロングレールとし,ロングレール間どうしの接続は温度変化による伸び縮みが自由な伸縮継目を採用している。また分岐器も,列車が高速のままスムーズに通過できるようにレールの欠線部をなくし,クロッシング部のノーズレールを可動にしたノーズ可動分岐器が用いられている。軌道構造は東海道新幹線では下部に砕石をまき,コンクリートまくら木を並べ,その上にレールを敷いた有道床構造としたが,山陽新幹線以降は砕石を使わずに高架橋やトンネルの上に長さ5m,幅2.3m,厚さ16cmまたは19cm程度のコンクリート厚板(軌道スラブ)を敷きつめ,直接レールを取りつけるスラブ軌道構造に改めて,軌道破損の減少,保守費の節約,列車の動揺の減少をはかっている。
電化方式は効率のよい単相交流方式で,東海道・山陽新幹線は60サイクル,東北・上越新幹線は50サイクルとし,標準電圧は2万5000Vである。変電所は無人化されていて,指令所で集中制御される。また電力を供給する架空電車線(架線)は,高速運転時でもパンタグラフから安定した集電が行えるよう,振動抑制の機能をもつコンパウンド架線およびヘビーコンパウンド架線と呼ばれるものを用いている。
このほか,積雪地帯では雪対策が重要な課題であり,東海道新幹線は関ヶ原地区でスプリンクラーからの散水で雪の舞上がりを抑える程度であるが,東北新幹線では列車により排雪された雪をたくわえることのできる構造の高架橋とし,また4mを超える豪雪地帯を通る上越新幹線では,10℃程度の温水をスプリンクラーで散水し,高架橋上の軌道面を無雪化する方式をとっている。
新幹線では,2両に1個あるパンタグラフから受けた2万5000Vの交流電圧を変圧器で下げた後,シリコン整流器で直流に変換し,これで各車両に4台備えられている直流直巻の電動機(1台当りの出力は東海道・山陽新幹線185kW,東北・上越新幹線230kW)を回転させて動力を得ている。このような電車列車方式を採用したのは,機関車列車と異なり動力を分散することができるので軸重が軽くなり,1両当りの出力を増すことも容易なためである。車体は完全な流線形で,飛行機と同じように軽くてじょうぶなモノコック構造とし,とくに東北・上越新幹線では床下の機器への着雪を防止するために,これらを覆った形のボディマウント方式を採用している。
高速で走行する場合は横方向に異常な力の発生する蛇行動が生じやすい。新幹線ではこれを防止して乗りごこちを快適にするため,板ばねで軸箱を台車枠に固定し,コイルばね,空気ばねやオイルダンパーを用いた台車としている。
ブレーキのシステムはもっとも重要なものの一つである。50km/h以上のときは電動機を逆回転させて発電機として作用させることにより制動力を得るいわゆる電気ブレーキを用い,50km/h以下では空気ブレーキ(ディスクブレーキ)に切り替える。非常の場合は両者を同時に作用させ効きめを強めるが,210km/hの列車にブレーキをかけて停止するまでの距離は,通常で2.7km,非常で2.0kmである。
200km/hを超える高速運転では,運転者が地上に設置された信号機を見ながら運転することは困難であるばかりでなく,安全性にも問題がある。このため新幹線では地上には信号機がなく,速度を数字(260(東北・上越新幹線のみ),210,160,110,70,30,0)で示すATC信号が車両の運転台に設置されている。この信号は先行列車との間隔に応じて表示され,列車の速度が表示速度を超えると,ATCにより自動的にブレーキがかかるようになっている。列車の運転の制御や監視は東京の総合指令所で行われ,ここにCTC装置を設けて列車の位置や列車番号を示す表示盤で常時列車の運転状況を監視するとともに,列車の運転条件(各駅の発着時刻,発着番線,列車順序)を記憶しているコンピューターと連動させて列車の進路制御,運転整理,指令伝達などを行っており,このシステムを新幹線列車運転管理システム(COMTRAC(コムトラツク))と呼んでいる。このほか,要所要所に設置された地震,風雨などの検知装置からのデータは,直接中央または管理局の指令所に伝達されるようになっており,異常が発生した場合は即座に運転規制ができるシステムとなっている。
列車の走行による騒音・振動対策が主で,東海道・山陽新幹線では線路に防音壁を設置したり,家屋に防音工事などを施している。東北・上越新幹線ではさらに音源対策に重点をおき,橋梁は鉄げたを避けコンクリートげたを積極的に使用したり,防音壁を広く採用して必要な個所では形状を逆L形とし吸音板などで効果を高めている。レールは重量化,ロングレール化し,締結部にはゴムパットを挿入し,必要に応じて軌道スラブ下面にゴムを取りつけた防振スラブを採用しており,また架線構造の改良と,パンタグラフを追随性のよいものに改良することにより両者の接触音を減少させることも行われている。このほか,車両も空気との接触音を少なくするため車体の凹凸を極力なくし,ボディマウント構造にしている。
執筆者:岩田 敏雄
新幹線は多くの人に利便をもたらしているが,一方では,沿線各地で騒音,振動などによる深刻な公害を引き起こしてきた。新幹線による騒音の継続時間は,車速200km/hの場合約7.2秒であり,騒音レベルは車速の2乗ないし3乗の対数に比例する。距離減衰は,近似的に有限長線音源の減衰様式(列車長lの1/πの距離l/πまでは倍距離3dBの減衰,l/πより遠距離になれば6dBの減衰)を示すが,軌道構造,地形などにより単純ではない。軌道構造別には,無道床鉄げたの場合が最大であり,高架構造では,軌道面より上方の空間における騒音レベルが大きい。
一方,新幹線の走行に伴う振動は,上下線中心より20mないし30m離れると,振動レベルは70dBあるいはそれ以下の値となることが多い。距離減衰は,地盤および地質性状が大きく影響するので,騒音以上に複雑である。軌道構造別では,ラーメン高架橋の場合が,盛土,切取,けた橋のそれより大きい。速度との定量的関係は明らかでない。
新幹線の場合,騒音と振動とが互いに複合し合って,被害を増幅する傾向にある。具体的には,騒音レベルで,うるささ(約65dB),会話妨害(70dB),電話の通話妨害(約70dB),テレビ・ラジオの視聴障害(約60dB),勉強・読書・思考・作業などの妨害(子どもの勉強の場合,約75dB),住みごこちの悪化(家が揺れるなどの場合,振動レベルで約55dB),家屋の損傷(立付けの狂い,振動レベルで約70dB),家庭での休養妨害,家庭生活・人間関係への影響,営業妨害などの日常生活の妨害,睡眠妨害(騒音レベルで約70dB,振動レベルで約60dB),精神的被害(〈びっくりする〉,騒音レベルで約75dB),身体的被害(頭痛,胃腸障害,食欲不振,血圧変調,自律神経失調症,乳幼児の発育阻害など)などのほか,日照通風阻害(東北新幹線では農作物被害),落水・粉塵などの被害,建設工事被害などが報告されている(以上の記述中,かっこ内の数値は,正反応30%の場合の騒音レベル(山陽新幹線)と,新幹線訴訟第一審判決で認定された振動レベルを示している)。
1974年3月30日,名古屋新幹線公害訴訟原告団(提訴時575人,判決時488人)は,国鉄(現JR)を相手として,午前7時から午後9時まで騒音65ホン,振動0.5mm/s(約65dB),午前6時から同7時および午後9時から同12時まで騒音55ホン,振動0.3mm/s(約60dB)を超えてはならないという差止請求(減速の請求)と,被害に対する過去の慰謝料1人100万円,差止め実現までの将来の慰謝料1人1ヵ月2万円の支払いを求める訴訟を提起した。これに対し,第一審判決(1980年9月11日)は,過去の慰謝料請求に関しては原告らの請求額に近い額を認容し,将来の慰謝料請求の訴えを却下,差止請求を棄却した。この判決に対しては同年9月,原告・被告双方が控訴した(原告24日,被告20日)。名古屋高裁は第1審の判断をほぼ維持し,過去の慰謝料請求については一部認容(ただし第1審よりも4割減じて約3億円を認容)し,将来の慰謝料請求を却下,差止請求を棄却した。その後1986年4月28日,被害者住民と加害者国鉄との間で和解解決をみるにいたった。
名古屋地区における組織的な住民運動は,1970年に結成された〈新幹線公害対策同盟〉に始まる。同盟は72年8月,〈名古屋新幹線公害対策同盟連合会〉へと発展,全市被害住民大会を開催し,減速と病人救済などを訴えた。同年10月には,〈新幹線公害追放運動全国大会〉が開催され,〈新幹線公害反対全国連絡協議会〉へと発展した。
なお,1993年11月から施行された新計量法では,騒音レベル(A特性音圧レベル)の計量単位は〈ホン又はデシベル〉から〈デシベル〉に改正されたことを付記する。
→振動公害 →騒音
執筆者:山本 剛夫
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
出典 株式会社平凡社百科事典マイペディアについて 情報
出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報
主要都市を結ぶ旅客用高速鉄道路線。新幹線の計画の源流は,1910年代の広軌改築計画や第2次大戦期の弾丸列車計画にさかのぼる。戦後,高度経済成長期には東海道本線の輸送力増強が緊急課題となり,1957年(昭和32)8月に日本国有鉄道幹線調査会を設置。翌年7月に東京―大阪間の国際標準軌間(1435mm)による新幹線建設の必要性と具体策が示され,64年10月に東海道新幹線(最大時速200km)が開通。2016年(平成28)現在,東海道・山陽・東北・上越などの9新幹線が営業中。
出典 山川出版社「山川 日本史小辞典 改訂新版」山川 日本史小辞典 改訂新版について 情報
出典 旺文社日本史事典 三訂版旺文社日本史事典 三訂版について 情報
…しかし大都市圏では,むしろ鉄道の輸送力を増強するための投資が行われている。また300~500km程度離れた都市間の高速輸送も鉄道の得意とするところで,1964年には東海道新幹線が中・長距離大量高速輸送の手段として登場した。新幹線は世界の鉄道に刺激を与え,フランスのTGVなどの高速列車が生まれている。…
※「新幹線」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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