全水寺(読み)ぜんすいじ

日本歴史地名大系 「全水寺」の解説

全水寺
ぜんすいじ

[現在地名]二宮町久下田 西木戸

蟠松山常楽院と号し、天台宗本尊は伝教大師作と伝える釈迦如来。寺伝によれば嘉祥二年(八四九)円仁による開創といい、当初万蔵院と称した。その後永く衰退していたが、天正二〇年(一五九二)常陸下妻しもつま(現茨城県下妻市)城主多賀谷重経が長沼の宗光ながぬまのそうこう寺を破却した時、同寺一八世亮弁は経典・法具・寺宝を携えて当地に移り仮住、久下田くげた城主水谷正村は亮弁を支援し大檀那となり、字西木戸にしきどの現在地に堂宇造営、新御堂山新宗光寺と称し密灌禅法をも行った。亮弁を中興一世とし、三世天海(江戸上野寛永寺開山)は慶長八年(一六〇三)新宗光寺と宗光寺の住職を兼ね、長沼旧地に宗光寺の再建を図った。同一四年天海は比叡山に移ったが、二世能海らの奔走によって同一九年宗光寺の再建がなった。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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