宗光寺
そうこうじ
[現在地名]二宮町長沼 寺ノ内
新御堂山円頓止観院と号し、天台宗別格本山。本尊は円仁作と伝える阿弥陀如来。寺伝によれば嘉祥元年(八四八)仁明天皇の勅願により円仁が比叡山に擬して創建、比叡山別院東日枝坊と称したのに始まるといい、文明三年(一四七一)八月二一日の法印慶禅覚書(宗光寺文書)によれば、源頼朝の御願所として比叡山椙生流の盛海が建立、叡山横川兜率谷の禅海が日野大納言を通して天皇より「下野国長沼庄新御堂宗光寺」の勅号を下されたという。貞治六年(一三六七)の奥書をもつ山王一心三観相伝(京都市三千院円融蔵所蔵)には応安四年(一三七一)一月一二日に「長沼庄新御堂」で相伝したとみえ、応永二五年(一四一八)には雑々抄第七巻(叡山文庫)が「長沼宗光寺」で書写されている。
宗光寺
そうこうじ
宗光寺山の南麓、切立稲荷(大島神社)の西にあり、泰雲山と号し曹洞宗。本尊釈迦牟尼仏。もとは雲門山匡真寺と称する臨済宗寺院であった。嘯岳鼎虎禅師語録(山口県洞春寺蔵)所収の天正五年(一五七七)日頼洞春成室妙玖之拈香によると、小早川隆景が父母(毛利元就夫妻)の年忌を弔うために、天正四年に新高山城(跡地は現豊田郡本郷町)の南麓に建立したとあり、近世初期の沼田新高山之図写(県立三原高校蔵)にも匡真寺を新高山城内に記す。なお、小早川隆景が天文一九年(一五五〇)に小早川家を相続したとき隠居させられた繁平(又鶴丸)が薙髪して入った山寺教真寺を、匡真寺に比定する説もある。
宗光寺
そうこうじ
[現在地名]三間町曾根
曾根の岩倉山の麓にあり、成家村との境に位置する。寺の周囲には桜・躑躅・紅葉が植えてあり、三間町では名所の一つとなっている。竜石山と号し、天台宗。本尊延命地蔵菩薩。
延宝九年(一六八一)の「吉田古記」には「地蔵院」とあるが、宗光寺と改名したのは宝永年間(一七〇四―一一)といわれる。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
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宗光寺
広島県三原市にある寺院。山門は小早川隆景の居城、新高山城の門を移建したとされ、国の重要文化財に指定されている。
出典 小学館デジタル大辞泉プラスについて 情報
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