八幡原村(読み)やはたばらむら

日本歴史地名大系 「八幡原村」の解説

八幡原村
やはたばらむら

[現在地名]高崎市八幡原町、佐波さわ玉村たまむら町八幡原

からす川に注ぐ井野いの川の最下流左岸、烏川の左岸崖上に広がる村。群馬郡では最東南端に位置し、西は井野川を挟んで綿貫わたぬき村・岩鼻いわはな村、東は滝川たきがわ用水を挟んで上新田かみしんでん宇貫うぬき二村(現玉村町)、南は烏川を挟んで緑野みどの立石たついし(現藤岡市)綿貫村から井野川を渡って日光例幣使街道が通った。東南部の下郷しもごうは現玉村町に含まれる。

「寛文朱印留」に二度村名がみえ、前橋藩領。寛文郷帳でも二村に分けて記される。


八幡原村
やわたばらむら

[現在地名]佐田町八幡原

東は飯石いいし反辺たんべ村、北西はた(現湖陵町)南西一久保田ひとくぼた村、北は乙立おつたち(現出雲市)に接し、神戸かんど川の流域に位置する。旧街道の分岐点にあたる。集落宮原みやばら和江島わえじまで構成される。元和七年(一六二一)の八幡原村御検地帳によれば、田方九町二反余・分米一二七石余、畑方七町八反・分米四〇石余、家数二〇(うち役屋敷一六)とある。正保国絵図には八幡村とみえる。


八幡原村
やわたばらむら

[現在地名]茂原市八幡原

綱島つなしま村の西に位置し、村の西端を一宮いちのみや川支流の三途さんず川が北流する。文禄三年(一五九四)の上総国村高帳に八幡原村とみえ、高二八九石。寛永二年(一六二五)旗本石丸正直に当村の九八石が宛行われた(知行宛行状)。寛政五年(一七九三)の上総国村高帳では旗本遠山・牧野・石丸領の相給で、家数七二。領主は以後変化なく幕末に至ったと思われる(旧高旧領取調帳など)

天保九年(一八三八)の巨細書取帳(東条家文書)によれば、遠山領一五四石余・牧野領九一石余・石丸領四八石余、家数六七・人数三〇四、農間稼は男女ともに菅笠仕立てを行っていた。


八幡原村
やはたばらむら

[現在地名]玉村町八幡原、高崎市八幡原町

群馬郡に属し、東は上新田かみしんでん村・宇貫うぬき村、西は井野いの川を境に綿貫わたぬき村・岩鼻いわはな(現高崎市)、北は下斎田しもさいだ(現同上)

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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