日本大百科全書(ニッポニカ) 「八月十日事件」の意味・わかりやすい解説
八月十日事件
はちがつとおかじけん
Août 1792 (journée du 10) フランス語
フランス革命中、1792年8月10日、パリで起こった王宮襲撃事件。事実上の王制廃止をもたらし、革命史上、一時期を画した。92年4月に始まった革命戦争はフランスに不利で、オーストリア・プロイセン軍の侵入が迫り、同年7月、非常事態となったが、国王ルイ16世側は外敵と通じて、革命側に圧力をかけようと試みた。これに刺激されたパリの革命勢力は8月9日を期限として、国王廃位の請願を立法議会に提出した。その期限切れとともに、正規のパリ・コミューン(自治体)にかわって「蜂起(ほうき)のコミューン」が設けられ、パリの民衆や地方からの義勇兵たちはチュイルリー宮を襲い、攻防戦ののち、これに乱入した。議会は王権を停止し、王一家はタンプル塔に幽閉された。同年9月正式に王制が廃止され、共和制の実現をみることとなった。
[山上正太郎]