六里ヶ原(読み)ろくりがはら

日本大百科全書(ニッポニカ) 「六里ヶ原」の意味・わかりやすい解説

六里ヶ原
ろくりがはら

群馬県西部、浅間山(あさまやま)の北斜面で、吾妻(あがつま)郡嬬恋村(つまごいむら)と長野原町(ながのはらまち)の標高900~1400メートル前後の裾野(すその)をいう。長い間シラカバカラマツナラクマザサなどに覆われていたが、1928年(昭和3)県による開墾移住が試みられ、その後養狐(ようこ)業も行われた。第二次世界大戦後開拓者が入植して畑地化した所が多く、最近は別荘も増えてきた。夏も冷涼で、浅間白根(しらね)、四阿(あずまや)の三大火山を一望に収める雄大な風景が展開する。

[村木定雄]

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「六里ヶ原」の意味・わかりやすい解説

六里ヶ原
ろくりがはら

群馬県西部,浅間山の北斜面を占める広大な原野開発は遅れ,長くカラマツ,シラカバ,雑木林におおわれていたが,第2次世界大戦後開拓者が入植し,酪農高原野菜 (キャベツ,ハクサイ) ,トウモロコシ栽培を行なってきた。近年は大規模な分譲別荘地の開発が進み,景観が一変した。上信越高原国立公園に属する火山群を望む景観は雄大。夏季は冷涼な高原気候で,ハイキングに訪れる人が多い。

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世界大百科事典(旧版)内の六里ヶ原の言及

【浅間山】より

…浅間山の中では黒斑山,前掛山,釜山の順に噴出点が東に移動してきた。裾野は南北35km,東西20kmの範囲に及び,北側を姥ヶ原,六里ヶ原,南側を追分原,地蔵ヶ原と呼ぶ。裾野の北端は吾妻川に,南西端は千曲川に達する。…

【嬬恋[村]】より

…村域の大部分は林野で,おもな集落は吾妻川沿いにある。六里ヶ原と呼ばれた浅間山北麓の原野では第2次大戦後,大規模な開拓が行われ,1960年代にキャベツ,ハクサイなどの高冷地栽培が急増し,現在は全国有数のキャベツ産地となっている。農林水産省嬬恋馬鈴薯原々種農場では種ジャガイモを生産している。…

※「六里ヶ原」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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