デジタル大辞泉
「内田清之助」の意味・読み・例文・類語
うちだ‐せいのすけ【内田清之助】
[1884~1975]鳥類学者。東京の生まれ。農林技師として日本の野鳥保護行政に尽力し、「鳥の博士」として知られた。著「日本鳥類図説」「鳥学講話」など。
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うちだ‐せいのすけ【内田清之助】
- 動物学者。農博。東京都出身。東京帝国大学卒。鳥類、昆虫の研究で知られる。主著「鳥学講話」「日本鳥類図説」「羽虫の研究」。明治一七~昭和五〇年(一八八四‐一九七五)
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内田清之助
うちだせいのすけ
(1884―1975)
鳥類学者。東京に生まれ、1908年(明治41)東京帝国大学農学部獣医学科卒業。農学博士。翌年農商務省嘱託として鳥獣調査に携わって以来、1919年(大正8)農商務省技師、ついで農林技師として日本の鳥獣保護事業を40余年にわたり主宰し、今日の鳥獣保護行政の礎(いしずえ)を築いた。その間、東大講師、各種調査会・審議会の委員、日本鳥学会会頭、山階(やましな)鳥類研究所理事、日本野鳥の会顧問を務めた。著書に『日本鳥類図説』『鳥学講話』などの専門書のほか多数の随筆書があり、鳥学、鳥類保護を一般に普及させた功績は大きい。
[松山資郎]
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内田 清之助
ウチダ セイノスケ
明治〜昭和期の鳥類学者,随筆家
- 生年
- 明治17(1884)年12月1日
- 没年
- 昭和50(1975)年4月28日
- 出生地
- 東京府
- 学歴〔年〕
- 東京帝国大学農科大学獣医学科〔明治41年〕卒
- 経歴
- 農林省林野局猟政調査室技師となり、また東大、京大、東京高農などの講師を歴任する。そのかたわら随筆家として活躍し、著書に「日本鳥類図説」をはじめ「画と鳥」「ツグミ渡るころ」などがある。
出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報
内田清之助 うちだ-せいのすけ
1884-1975 明治-昭和時代の鳥類学者。
明治17年12月1日生まれ。農商務省鳥獣調査室長,東大,京大などの講師を歴任。日本鳥学会を創立し,会頭となる。鳥類の分類,生態の調査・研究をおこない,鳥獣保護につとめた。昭和50年4月28日死去。90歳。東京出身。東京帝大卒。著作に「日本鳥類図説」「鳥学講話」など。
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内田 清之助 (うちだ せいのすけ)
生年月日:1884年12月1日
明治時代-昭和時代の動物学者;随筆家
1975年没
出典 日外アソシエーツ「367日誕生日大事典」367日誕生日大事典について 情報