国政全般にわたる改革案の調査立案のために1935年(昭和10)5月に内閣に設置された官庁。大規模な軍備拡大のために国内改革を目指す陸軍と、政党政治にかわる政治体制を模索する官僚の一部(新官僚)の提携により、準閣僚級の長官の下、陸軍を含む各省庁や民間から人材を集めて設置された。1937年4月、権限を強化するため企画庁に改組したが、10月、企画院に吸収される形で廃止となる。この間の主な業績としては社会保障、電力事業に関する改革案がある。なお、1945~1946年にかけても、戦後対策調査立案のため内閣調査局という官庁が内閣に設置された。
[古川隆久]
『古川隆久著『昭和戦中期の総合国策機関』(1992・吉川弘文館)』
…満州事変後,親軍的な官僚層の勢力が増大するとともに,統制強化の動きが各方面に広がり,とくに農山漁村経済更生運動,選挙粛正運動などの新たな組織化が注目されたが,こうした官僚主導型の政治改革を意図するグループが〈新官僚〉と呼ばれるようになった。1935年岡田啓介内閣が国策調査機関として設置した内閣調査局は,これら新官僚の活動の場となり,後藤文夫,吉田茂(戦後の首相とは別人)らの内務官僚が主流をなした。革新官僚とは,この新官僚につづく,より若い官僚を指しており,内閣調査局が企画庁となり,さらに日中戦争の全面化とともに,資源局と合して企画院に発展する過程で,総動員計画の作成にあたるようになる経済官僚がその中心になっていた。…
…1937年創設された内閣直属の総合国策立案機関であるが,事実上は内閣の総動員関係の事務機関。1935年5月設置された内閣調査局は,37年5月企画庁に拡大改編され,陸軍から重要産業5年計画要綱案の提示をうけ,その検討に着手した。同年7月,日中全面戦争の開始にともない,総力戦体制の整備が急がれ,10月,総動員準備機関としての資源局と企画庁を統合することにより企画院が創設された。…
…だが当時の陸軍は将来戦は長期戦になると判断したものの,日本の国力からみて総力戦は至難だとして,奇襲開戦と連戦連勝による短期戦を戦略の基本においていた。 世界恐慌と満州事変で〈非常時〉が激化すると,国防国家の建設をめざす軍部の動きも活発化し,1935年には政策統合にあたる内閣調査局がつくられ,軍部と革新官僚との結びつきが始まった。二・二六事件後には参謀本部の中枢を占めた石原莞爾(かんじ)らは〈満州国〉にならって首相のもとに強力な総務庁をおいて国政全般を指導させ,生産力拡充を目標に国家総動員を強行しようとした。…
…既成政党に従属的であったそれまでの官僚主流に対比して,政党の支配を脱しようとする姿勢に,当時としての〈新しさ〉が感じられた。五・一五事件を機に成立した斎藤実内閣の農相に登用され,経済更生運動を指導した後藤文夫をはじめ,次の岡田啓介内閣の組閣参謀となり内閣書記官長に就任した河田烈,同内閣が設置した内閣調査局の初代長官となった吉田茂(戦後の首相とは別人)などがその中心とみられた。大正後期から,青年団運動,選挙粛正運動などを推進するなかで,一定の連携をつくりあげてきた勢力であり,国維会はその背後にある組織として注目された。…
※「内閣調査局」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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