円成寺跡(読み)えんじようじあと

日本歴史地名大系 「円成寺跡」の解説

円成寺跡
えんじようじあと

[現在地名]韮山町寺家

もり山の北西麓、御所之内ごしよのうち遺跡の一角を占める円成寺遺跡にあったとされる寺院。室町期の遺構・遺物が発見されており、寛政一二年(一八〇〇)成立の「豆州志稿」では近年の廃絶と記される。暦応二年(一三三九)四月五日「円成寺」に北条ほうじよう五箇郷などが寄進された際の足利直義寄進状(案、北条寺文書)にその由緒が記されており、当寺は北条貞時後室覚海円成が建立した尼寺で、北条氏所縁の女性が止住し、元弘の乱の亡魂を救う浄場であった。

円成寺跡
えんじようじあと

[現在地名]左京区鹿ヶ谷宮ノ前町

鹿ししだに大豊おおとよ神社の地にあった京都仁和寺の院家。もとは円城寺と記された。右大臣藤原氏宗の山荘地であったが、氏宗没後に宇多天皇後宮に仕えた妹の尚侍藤原淑子が発願し、真言僧益信を別当として創建した寺(延喜六年九月一九日「官符」類聚三代格)。寛平元年(八八九)七月二五日には定額寺とされた(扶桑略記・類聚三代格)

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

国指定史跡ガイド 「円成寺跡」の解説

えんじょうじあと【円成寺跡】


⇒北条氏邸跡〈円成寺跡〉(ほうじょうしていあと)

出典 講談社国指定史跡ガイドについて 情報

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