黒川道祐(読み)くろかわどうゆう

精選版 日本国語大辞典 「黒川道祐」の意味・読み・例文・類語

くろかわ‐どうゆう【黒川道祐】

  1. 江戸前期の医者儒学者。名は玄逸。号静庵、遠碧軒。安芸の人。林羅山に儒学、堀杏庵(きょうあん)医学を学び、安芸藩に仕える。のち京都に移り、著述専念。著に「雍州府志」「本朝医考」など。元祿四年(一六九一)没。

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「黒川道祐」の意味・わかりやすい解説

黒川道祐
くろかわどうゆう
(?―1691)

江戸時代の医師、日本医史学者の嚆矢(こうし)。生年は1622年(元和8)説があるが不詳。名は元逸(玄逸とも)、字(あざな)は道祐、号は静庵・梅庵。安芸(あき)国(広島県)浅野侯に医をもって仕えたが、のち辞して京都に移る。1663年(寛文3)日本歴代名医伝記、疾病史などを収めた『本朝医考』を著した。元禄(げんろく)4年、京都で没。墓碑は京都市上京区智恵光院通五辻上ル本隆寺本法印墓地にある。著作に『雍州府志(ようしゅうふし)』『日次紀事(にちじきじ)』『芸備国郡志』『遠碧(えんへき)軒随筆』などがある。

矢数道明

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朝日日本歴史人物事典 「黒川道祐」の解説

黒川道祐

没年:元禄4.11.4(1691.12.23)
生年:生年不詳
江戸前期の歴史家。安芸(広島県)の人。名は玄逸,字・通称は道祐。静庵,遠碧軒と号す。父は広島藩医黒川寿閑,母は堀杏庵の娘。医学を父に学び,儒学を林羅山・鵞峰父子に就く。また堀杏庵にも学んだ。家を嗣いで広島藩医として仕えながら,『芸備国郡志』や『本朝医考』を著し,独自の史観で日本における地誌・医学史の上に大きな業績を遺した。延宝1(1673)年職を辞し,京都に住んで著述に専念。また近畿一円を旅して,多くの旅行記を残す。その一方で,京都の地誌『雍州府志』や年中行事『日次紀事』を編んだ。<参考文献>『黒川道祐伝補遺』(『中村幸彦著述集』11巻)

(高橋昌彦)

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「黒川道祐」の意味・わかりやすい解説

黒川道祐
くろかわどうゆう

[生]?
[没]元禄4(1691).11.4. 京都
江戸時代前期の儒医。名,玄逸。号,静庵,遠碧軒など。堀杏庵の外孫。安芸藩藩医となるが延宝初め頃致仕。日本医史研究の嚆矢で,名医の小伝を載せる『本朝医考』 (1663) ,安芸国備後国の地誌『芸備国郡志』 (63) ,山城国の地誌『雍州府志』 (84) ,1年間の祭事などを記す『日次紀事 (ひなみきじ) 』 (85) ,日記体の見聞随筆『遠碧軒随筆』などの著述がある。医者というより博学家の名がふさわしい。

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デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「黒川道祐」の解説

黒川道祐 くろかわ-どうゆう

?-1691 江戸時代前期の医師,儒者。
黒川寿閑の子。儒学を林羅山,外祖父の堀杏庵(きょうあん)にまなぶ。安芸(あき)広島藩医。地誌,医学史を研究し,「芸備国郡志」「本朝医考」などをあらわし,延宝元年以後は京都で著述に専念した。元禄(げんろく)4年11月4日死去。安芸出身。名は玄逸。号は静庵など。著作はほかに「雍州府志」など。

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世界大百科事典(旧版)内の黒川道祐の言及

【日次紀事】より

…江戸前期の京都を中心とする朝野公私の年中行事解説書。黒川道祐編。1676年(延宝4)林鵞峰序。…

【雍州府志】より

…江戸時代に刊行された山城国に関する最初の総合的地誌。著者は黒川道祐。全10巻で,自序は1682年(天和2)と推定されるが,第10巻の刊年は86年(貞享3)。…

※「黒川道祐」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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