円満院(読み)エンマンイン

デジタル大辞泉 「円満院」の意味・読み・例文・類語

えんまん‐いん〔ヱンマンヰン〕【円満院】

滋賀県大津市にある天台系単立宗教法人の寺。もと園城寺本坊三井三門跡の一。寛和3年(987)京都岡崎に悟円法親王が創建平等院と称した。江戸初期に現在地へ移転

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精選版 日本国語大辞典 「円満院」の意味・読み・例文・類語

えんまん‐いんヱンマンヰン【円満院】

  1. 滋賀県大津市園城寺(おんじょうじ)町にある天台系単立寺院。もと園城寺(三井寺)の本坊。寛和三年(九八七)悟円法親王の創建で、初め平等院と称した。のち藤原頼通の帰依をうけ、寺号宇治平等院に移し現名に改称桜井の宮(室)。

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日本歴史地名大系 「円満院」の解説

円満院
えんまんいん

[現在地名]大津市園城寺町

園城おんじよう(三井寺)の北にある単立寺院。もとは天台宗園城寺三門跡の一で、園城寺一山を管轄する長吏を出す有力寺院であった。本尊不動明王。長暦三年(一〇三九)明尊の創建と伝え、その住房を天皇御願の堂とし、阿闍梨五口を置いたのに始まるという。明尊は長久二年(一〇四一)二月大浦おおうら(現滋賀県西浅井町)を施入している(同年一二月一三日「太政官符案」菅浦文書)。翌三年三月山門衆徒に焼かれるが、その寺跡は悟円法親王が開いた園城寺内の平等びようどう院に継承され、皇族が入る門跡となり、歴代の門跡は平等院と号した。なお悟円を初代、明尊を三代とする所伝があり、明尊の時に円満院と号し、平等院の号は宇治平等院に譲ったという。

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世界大百科事典(旧版)内の円満院の言及

【大浦荘】より

…その後,後一条天皇領,あるいは公卿領を経て,園城寺の僧明尊の私領となった。明尊は住房を天皇御願の堂となし,これを円満院(寺門派三門跡の一つ)と号し,1041年(長久2)大浦荘を寄付。鎌倉時代になると南接する山門檀那院領菅浦荘との間に激しい境界争いが始まり,日差・諸河の地を争って150年に及ぶ長い相論を展開。…

※「円満院」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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