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平等院 びょうどういん

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

平等院
びょうどういん

京都府宇治市の宇治川河畔にある寺院。天台,浄土両宗に属し朝日山と号する。藤原道長の別荘をその子頼通が譲り受け仏寺としたもので,永承7 (1052) 年に本堂,翌年に鳳凰堂 (国宝) を造立。その後法華堂,多宝塔,宝蔵などが建てられたが,延元1=建武3 (1336) 年兵火で焼け,室町時代の衰運を経て,現在では鳳凰堂,観音堂,鐘楼だけが残る。鳳凰堂は阿弥陀浄土を具現化したもので,扉や壁面は,『九品来迎図』や『日想観図』などの板絵 16面 (国宝) や雲中供養仏で飾られている (→平等院鳳凰堂壁扉画 ) 。本尊『阿弥陀如来坐像』は定朝の作 (1053,国宝) 。

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朝日新聞掲載「キーワード」の解説

平等院

藤原道長の長男で、摂政・関白として権勢を誇った頼通(よりみち)が1052年に創建した。1053年に落成した鳳凰堂はその阿弥陀堂で、外観は鳳凰が翼を広げた姿を模したと言われ、10円硬貨に刻まれている。国宝74点があり、1994年に世界遺産に登録された。

(2010-04-17 朝日新聞 夕刊 1総合)

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デジタル大辞泉の解説

びょうどう‐いん〔ビヤウドウヰン〕【平等院】

京都府宇治市にある天台宗浄土宗系の単立寺院。山号は朝日山。藤原道長の別荘であったものを永承7年(1052)道長の子頼通が寺に改め、翌年阿弥陀堂(鳳凰堂)を建立。開山は明尊。阿弥陀堂や堂内にある定朝作の阿弥陀如来像、51体の雲中供養菩薩などは国宝。梵鐘は日本三名鐘の一つ。平成6年(1994)「古都京都の文化財」の一つとして世界遺産文化遺産)に登録された。

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百科事典マイペディアの解説

平等院【びょうどういん】

京都府宇治市の宇治川西岸にある天台浄土系の単立寺院。源融(みなもとのとおる)の別業(なりどころ)〈宇治院〉をのち藤原道長が譲り受け,その子藤原頼通が1052年寺としたもの。
→関連項目荒川荘宇治宇治[市]久多荘古都京都の文化財(京都市,宇治市,大津市)天蓋琵琶湖国定公園源隆国無量光院跡

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デジタル大辞泉プラスの解説

平等院

京都府宇治市にある寺院。創建は1052年。宗派は単立、本尊は阿弥陀如来。10円玉の表面に描かれる鳳凰堂は国宝に指定。その他多くの文化財を保有。「古都京都の文化財」の一部としてユネスコ世界文化遺産に登録。「宇治平等院」とも呼ばれる

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世界大百科事典 第2版の解説

びょうどういん【平等院】

京都府宇治市にあり,現在は天台浄土系の単立寺院。朝日山と号する。本尊阿弥陀如来。藤原頼通が父道長から伝領した別荘の宇治院を,末法(まつぽう)初年にあたる1052年(永承7)寺に改め,翌年に中心伽藍となる阿弥陀堂(鳳凰堂)を建て,定朝作の丈六の阿弥陀座像を安置したことにはじまる。以来平安末まで,摂関家氏寺として一門の崇敬を受け,師実,忠実らによる諸堂塔の建立も続いて,全盛期を築いた。阿弥陀堂はさながら現世の浄土のようで〈極楽いぶかしくば,宇治の御堂(みどう)を礼すべし〉とまでいわれ,経蔵は《一切経》のほか天下の名宝が納められ,3月3日の一切経会は摂関家一門の参詣で大いににぎわった。

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大辞林 第三版の解説

びょうどういん【平等院】

京都府宇治市にある単立宗教法人の寺。もと天台宗・浄土宗。1052年藤原頼通が別荘を寺として創建。

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世界の観光地名がわかる事典の解説

びょうどういん【平等院】

アメリカのハワイ州オアフ島、霧深いコオラウ山の麓、カネオにある寺院。1968年に日本人移民100周年を記念し、宇治の平等院を模して建てられた。朱色の建物は、日本国外では最大の日本庭園に囲まれ、1万尾以上のコイが2エーカーの池で泳ぎ、野生の孔雀が敷地内を歩き回っている。鐘楼(しょうろう)・茶室・日本庭園には滝もあり、線香の香りも気持ちを落ち着かせてくれる。

出典|講談社
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日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

平等院
びょうどういん

京都府宇治(うじ)市宇治蓮華(れんげ)にある単立寺院。山号は朝日山(あさひさん)。本尊阿弥陀如来(あみだにょらい)。宇治は『源氏物語』の「宇治十帖(じょう)」の地であり、古来、山紫水明で、左大臣源融(とおる)が別業(べつぎょう)(別荘)宇治院を営んだことは名高い。それはのち、六条左大臣源重信を経て藤原道長の手に移り、たびたび遊宴が催された。宇治院(宇治殿とも)は道長より子頼通(よりみち)へ譲られるが、末法の初年とされた1052年(永承7)頼通は寝殿を仏殿(本堂)とし、翌年、宇治川の西岸に阿弥陀堂が建立された。東から西の極楽(ごくらく)浄土を望む位置に建てられ、阿字(あじ)池には翼廊付きの御堂(みどう)を配置し、堂内には定朝(じょうちょう)作の阿弥陀坐像(ざぞう)を安置するなど、極楽浄土を観想する当時の浄土思想に基づいてつくられた。初代の執印(しついん)(開山)は園城(おんじょう)寺の明尊(みょうそん)大僧正(そうじょう)。以後、1056年(天喜4)に法華(ほっけ)堂、1061年(康平4)に多宝塔、1066年(治暦2)に五大堂が造立された。頼通の没後、娘の四条宮藤原寛子(かんし)が住した。
 宇治は古代から交通の要衝で、646年(大化2)道登(どうと)が架橋した。1180年(治承4)源三位(げんさんみ)頼政(よりまさ)が園城寺に兵をあげ、奈良へ赴く途中宇治で平氏と戦い、平等院で自害した。梶原景季(かじわらかげすえ)と佐々木高綱の先陣争い(1184)も有名であり、承久(じょうきゅう)の乱(1221)では上皇方と北条方の対峙(たいじ)の所となった。建武(けんむ)年間(1334~38)楠木正成(くすのきまさしげ)が足利尊氏(あしかがたかうじ)と戦ったとき付近一帯を焼き、平等院も鳳凰(ほうおう)堂、観音(かんのん)堂、鐘楼を残し焼失した。なお、鎌倉時代、西大寺叡尊(えいそん)は平等院の僧の勧めで、宇治橋修造、網代(あじろ)撤廃(殺生(せっしょう)禁断)を行い、浮島に十三重石塔を建てた。室町時代に近江(おうみ)(滋賀県)の三井寺円満(えんまん)院門主が兼務したが、明応(めいおう)年間(1492~1501)浄土宗の栄久上人(しょうにん)が管理し、浄土・真言(しんごん)・天台宗が対立し、浄土宗の浄土院と天台宗寺門派の最勝院の管理となり、現在、西院の住職が3年交替で代表役員を務めている。[田村晃祐]

文化財

阿弥陀堂(国宝)は江戸時代初期より鳳凰堂とよばれた。屋上の銅製の鳳凰によるとか、中堂に両翼廊・尾廊をもつ建物の形が鳳凰を思わせるところからその名があるといわれる。中堂は桁行(けたゆき)三間、梁間(はりま)二間で裳階付(もこしつき)入母屋(いりもや)造、翼廊は桁行各折曲り延長八間、梁間一間の二階切妻造で、隅に宝形(ほうぎょう)造の楼閣があり、左右対称形をなす。背後に桁行七間、梁間一間一階の尾廊をもち、内部の荘厳(しょうごん)とともに平安時代の芸術の粋を尽くした名建築である。本尊阿弥陀如来坐像(国宝)は1053年(天喜1)定朝の晩年の作で、寄木(よせぎ)造、漆箔(はく)を施し、定印を結ぶ。華麗な飛天の光背をもち、木造の天蓋(てんがい)(国宝)の下、九重の台に座し、円満な顔、広く薄い胸、法衣の衣文(えもん)など貴族の趣味にあった和様彫刻の完成を示す名品である。堂内の長押(なげし)上の小壁には奏楽・歌舞をなす51躯(く)の雲中供養菩薩(ぼさつ)像(国宝)がかけられている。扉と板壁の「九品来迎(くほんらいごう)図」「日想観図」など壁扉(へきひ)画(14面、国宝)、本尊後壁壁画などで荘厳されている。また梵鐘(ぼんしょう)(国宝)は日本三名鐘の一つとして有名。観音(かんのん)堂(釣殿(つりどの))とその本尊十一面観音像は国指定重要文化財、庭園は回遊式庭園、境内は史跡・名勝に指定されている。1994年(平成6)、世界遺産の文化遺産として登録された(世界文化遺産。古都京都の文化財は清水寺など17社寺・城が一括登録されている)。[田村晃祐]
『『古寺巡礼 京都8 平等院』(1976・淡交社) ▽田口栄一著『名宝日本の美術9 平等院と中尊寺』(1982・小学館) ▽太田博太郎他編『平等院大観』全3巻(1988~91・岩波書店)』

出典|小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)
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世界大百科事典内の平等院の言及

【阿弥陀堂】より

…求心堂平面をもつ堂は平安前期に円仁によって建立された比叡山の常行(じようぎよう)三昧堂のように中心に仏壇をおき,周囲1間通りに行道できる庇(ひさし)をめぐらし,さらに孫庇をめぐらした方五間堂の省略形から発展したとも考えられる。その左右に翼廊を付し,前面に苑池を設けた形は1053年(天喜1)に藤原頼通が造営した平等院阿弥陀堂(鳳凰堂)で,白河天皇の法勝寺(1077)や藤原基衡の平泉毛越(もうつ)寺(1150ころ)なども浄土になぞらえて,苑池に面する伽藍とされた。小型の方三間堂(阿弥陀堂)は全国各地に設けられ,京都法界寺阿弥陀堂は方5間に裳階(もこし)を付した発展形式をもつ。…

【藤原頼通】より

…72年(延久4)出家,法名を蓮華覚(のち寂覚)と号したが,その翌々年の2月2日没した。世に宇治殿と称し,その宇治の別業を寺とした平等院は,道長の建てた法成寺と並んで,永く摂関家の氏寺として重んぜられた。【橋本 義彦】。…

【頼政】より

…シテは源頼政の霊。旅の僧(ワキ)が宇治の里に赴くと,1人の老人(前ジテ)が現れて所の名所を教え,平等院に案内する。扇の形に残された芝を見て僧が質問すると,これは源頼政が扇を敷いて自害した跡だと説明し,自分こそその頼政であると名のって消える。…

※「平等院」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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