制剛流(読み)せいごうりゅう

日本大百科全書(ニッポニカ) 「制剛流」の意味・わかりやすい解説

制剛流
せいごうりゅう

近世柔術の一流派。流祖は水早長左衛門信正(みずはやちょうざえもんのぶまさ)。信正の伝は明らかではないが、一説に、京都の人で豊臣(とよとみ)秀吉に仕え、太閤(たいこう)没後摂津(せっつ)国那知(なち)に隠棲(いんせい)し、高野(こうや)の山法師制剛房(せいごうぼう)から柔術の伝授を受け、五身伝(ごしんでん)二十か条俰組討(やわくみうち)を発明して教授したという。流名は師の名を冠したものというが、老子のいわゆる「至柔(しじゅう)なるもの能(よ)く至剛(しごう)なるものを制す」という語義によって名づけられたもので、ぬき身をもっとも得意とした。2代の梶原源左衛門直景(かじわらげんざえもんなおかげ)(1610―85)は、小田原北条氏の遺臣景通(かげみち)の子で、初め美濃(みの)大垣の戸田家に仕えたが、ゆえあって浪人となり、摂津に至って信正に入門、さらに諸国を歴遊して浅山(あさやま)・竹内(たけのうち)・難波(なんば)・一無(いちむ)・河上(かわかみ)などの諸流を修め、のち江戸両国に道場を開き、「制剛流俰組討骨砕(ほねくだ)キノ伝」という看板を掲げ、居合を兼ねて教授した。1644年(正保1)尾張(おわり)藩主徳川義直(よしなお)に招かれて禄(ろく)150石を給せられ、以後累代士分に列し、同藩の柔術師範役を勤めた。

[渡邉一郎]

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デジタル大辞泉プラス 「制剛流」の解説

制剛流

柔術の流派のひとつ。京の出身で、一説には豊臣秀吉に仕えた人物とされる水早(みずはや)長左衛門信正が創始高野山の法師、制剛房から伝授された技を整備したものとされる。

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