日本大百科全書(ニッポニカ) 「劉因」の意味・わかりやすい解説
劉因
りゅういん
(1249―1293)
中国、宋(そう)末元初の思想家、詩人。初名は(いん)。字(あざな)は夢驥(ぼうき)、のちに夢吉(ぼうきつ)に改めた。号は静修。河北省徐水県の人。朱子学を修めた。著書に『四書集義精要』『静修集』がある。学説としてみるべきものはない。許衡(きょこう)が「道」の普及のために元朝に仕えたのと対比して、劉因が「道」の尊厳のために元の世祖に招かれても仕えなかったという故事(輟耕録(てっこうろく))は有名。日本では江戸時代中期、大義名分論が喧伝(けんでん)された際に劉因が注目され、浅見絅斎(けいさい)(安正)の『靖献遺言(せいけんいげん)』などで唱導された。
[田公平 2016年2月17日]
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