浅見絅斎(読み)アサミケイサイ

デジタル大辞泉 「浅見絅斎」の意味・読み・例文・類語

あさみ‐けいさい【浅見絅斎】

[1652~1712]江戸中期の儒学者。近江おうみの人。名は安正。別号、望楠楼。山崎闇斎に学び、佐藤直方三宅尚斎とともに崎門きもん三傑の一人。勤王を唱え、著書「靖献遺言せいけんいげん」がある。

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精選版 日本国語大辞典 「浅見絅斎」の意味・読み・例文・類語

あさみ‐けいさい【浅見絅斎】

  1. 江戸前期の朱子学者。名は安正。通称重次郎。別号、望楠楼。近江の人。山崎闇斎(あんさい)の崎門(きもん)三傑の一人で、尊王思想を説く。京都に塾を開き、一生諸侯に仕えなかった。著「靖献遺言(せいけんいげん)」は幕末の志士に強い影響を与えた。他に「中国弁」など。承応元~正徳元年(一六五二‐一七一一

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「浅見絅斎」の意味・わかりやすい解説

浅見絅斎
あさみけいさい
(1652―1711)

江戸中期の儒学者。名は安正、通称重次郎。絅斎は号。近江(おうみ)国高島郡滋賀県高島市)の人。山崎闇斎(やまざきあんさい)の門人で、闇斎の純正朱子学の学風を継承し、佐藤直方(さとうなおかた)、三宅尚斎(みやけしょうさい)とともに「崎門(きもん)の三傑」と称せられた。闇斎が神道を重んじるに及び師門を離れたが、のち師の神道説にも理解と尊信をもつに至った。ひととなりは厳毅、つねに長刀を帯し、脛巾(はばき)に「赤心報国」の4字を篆鐫(てんせん)(篆字を彫り刻むこと)したという。著述はすこぶる多く、『辨(べん)大学非孔氏之遺書辨』『忠孝類説』『靖献遺言(せいけんいげん)』8巻は、近世勤王論の発達に大きな影響を与えた著作として知られる。また楠木正成(くすのきまさしげ)を敬い、望楠軒(ぼうなんけん)とも号した。

 後年神道を尊び、生涯任官せず門人の教育に尽力した。門人に三宅観瀾(みやけかんらん)、若林強斎(わかばやしきょうさい)らがある。正徳(しょうとく)元年12月1日に没した。60歳。

[平 重道 2016年4月18日]

『舞田正養著『絅斎先生全集編纂の由来』(『増補 山崎闇斎と其門流』1943・明治書房・所収)』『平重道著『近世日本思想史研究』(1969・吉川弘文館)』『近藤啓吾著『浅見絅斎の研究』(1970/増訂版・1990・神道史学会)』『近藤啓吾・金本正孝編『浅見絅斎集』(1989・国書刊行会)』

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朝日日本歴史人物事典 「浅見絅斎」の解説

浅見絅斎

没年:正徳1.12.1(1712.1.8)
生年:承応1.8.13(1652.9.15)
江戸中期の儒学者。名は安正,重次郎と称す。絅斎は号。近江(滋賀県)高島郡に生まれ,26歳ごろ,京都で晩年の山崎闇斎に従学し,佐藤直方,三宅尚斎と共に崎門三傑と称される。闇斎に期待をかけられるが,神道をめぐって師の考えと合わず,兄弟子直方と共に闇斎と訣別する。闇斎門下の中で,神道の持つ不透明さに不信感を抱く絅斎らと,神道と儒学の兼学を主張する門人たちの間に確執があったことも事実である。絅斎は朱子学を純粋に受容しようとしたが,特に節義を重視し,4年の歳月をかけて,貞享4(1687)年に主著『靖献遺言』(全8巻)を出版する。屈原をはじめ中国歴代の忠臣義士の遺文を収録し,小伝を付したこの書物は,赤穂義士を賛美した『四十六士論』とともに,忠節の重視を強調した彼の思想をよく表したものとして,後世にも影響を与える。続いて著した『弁大学非孔書弁(だいがくはこうしょにあらざるのべんをべんず)』は,伊藤仁斎の『大学非孔氏之遺書弁』を弁難したもので,その後一貫して,仁斎の思想は「理を侮る」ものであるという批判がなされることになる。59歳で亡くなるまで,門人に教授し,その講義の内容は弟子たちが記録した「師説」と称される筆記類に残されている。彼自身,闇斎の説を祖述敷衍した著述を残しており,『白鹿洞掲示師説』などがそうである。<参考文献>石田和夫『浅見絅斎』(叢書・日本の思想家13巻)

(柴田篤)

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改訂新版 世界大百科事典 「浅見絅斎」の意味・わかりやすい解説

浅見絅斎 (あさみけいさい)
生没年:1652-1711(承応1-正徳1)

江戸初期の朱子学者。名は安正,幼名順良,通称重次郎,絅斎は号。近江国の人。初め高島氏を称し,後浅見氏に改める。初め医を業とし,後京都に出て山崎闇斎の門人となり,儒者として身を立て,闇斎の朱子学を継承し,佐藤直方,三宅尚斎とともに崎門(きもん)三傑と称せられ,その筆頭に推重された。しかし師闇斎の神道尊信に反対し,一時師門を破門された。著書はすこぶる多く,《靖献遺言》8巻は忠志を貫徹した中国の志士8人の伝記を叙しその事業を顕彰したもので,近世勤王論の発展に大いなる感化を与えた。彼は人となり厳毅,常に長刀を帯し,鐔(つば)に赤心報国の4字を篆刻(てんこく)していたが,これは彼が単なる学者ではなく,実践を旨とした思想家であったことを示している。平生楠木正成の忠誠を仰薫し望楠軒と号した。終生任官せず京に講学したが,門下から三宅観瀾,若林強斎,山本俊斎などの優れた学者を出した。
執筆者:

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百科事典マイペディア 「浅見絅斎」の意味・わかりやすい解説

浅見絅斎【あさみけいさい】

江戸中期の儒学者。名は安正(やすまさ),通称は重次郎(しげじろう)。近江(おうみ)の人。山崎闇斎(あんさい)の高弟。京で学を講じた。師の神道尊信に服せず,破門されたが,闇斎学の精髄を得て,これを若林強斎(きょうさい),三宅観瀾(かんらん)らの弟子に伝えた。著書《靖献遺言(せいけんいげん)》は幕末まで広く読まれた。《赤穂四十六士論(あこうしじゅうろくしろん)》もある。
→関連項目垂加神道三宅石庵

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「浅見絅斎」の意味・わかりやすい解説

浅見絅斎
あさみけいさい

[生]慶安5(1652).8.13. 近江
[没]正徳1(1711).12.1.
江戸時代中期の朱子学派の儒学者。名は安正,通称は重次郎,号は絅斎,望南楼。初め京都に上って医を業としたが,28歳のとき山崎闇斎に学び,崎門三傑の一人となる。性質は狷介で厳格,終生仕官せず,門人の教育に努めた。敬神尊王説を唱え,朱子学を尊信し,格物究理の目的は君臣父子の大義名分を明らかにするにあると説いた。楠木正成を尊び,南朝正統論を唱え,また中国の忠孝義烈の士の文章を集めた『靖献遺言』 (1748) は幕末志士に大きな影響を与えた。弟子に三宅観瀾,谷秦山,若林強斎らがある。著書『六経編考』 (1693) ,『聖学図講義』『明徳説』。

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山川 日本史小辞典 改訂新版 「浅見絅斎」の解説

浅見絅斎
あさみけいさい

1652.8.13~1711.12.1

江戸前期の儒学者。名は安正,通称は重次郎,絅斎は号。崎門(きもん)三傑の1人。近江国生れ。はじめ医師だったが,28歳のとき山崎闇斎の門に入り朱子学を学ぶ。塾を開いて弟子をとり,生涯仕官せず,江戸の地も踏まなかった。師説を忠実に継承したが,闇斎の神道説はとらず,また闇斎の敬義内外の説を批判して破門された。中国の忠臣義士を顕彰した編著「靖献遺言(せいけんいげん)」は,幕末の尊王攘夷派の志士たちに大きな影響を与えた。ほかに筆録「箚録(さつろく)」。

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デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「浅見絅斎」の解説

浅見絅斎 あさみ-けいさい

1652-1712* 江戸時代前期-中期の儒者。
慶安5年8月13日生まれ。山崎闇斎(あんさい)にまなび,崎門(きもん)三傑のひとりとされたが,神道説に反対し破門される。生涯仕官せず,京都でおしえた。その著「靖献遺言(せいけんいげん)」は幕末の尊王思想に影響をあたえた。正徳(しょうとく)元年12月1日死去。60歳。近江(おうみ)(滋賀県)出身。本姓は高島。名は順良,安正。通称は重次郎。著作に「忠孝類説」「大学講義」など。

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旺文社日本史事典 三訂版 「浅見絅斎」の解説

浅見絅斎
あさみけいさい

1652〜1711
江戸中期の朱子学者
近江(滋賀県)の人。山崎闇斎に学び崎門 (きもん) 三傑の一人。のち闇斎の神道説に反対し破門されたが,朱子学の立場から大義名分論を説き,赤穂四十七士を義士とし,楠木正成を忠臣とし,尊王論を鼓吹した。主著に『靖献遺言 (せいけんいげん) 』。

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367日誕生日大事典 「浅見絅斎」の解説

浅見絅斎 (あさみけいさい)

生年月日:1652年8月13日
江戸時代中期の儒学者
1712年没

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世界大百科事典(旧版)内の浅見絅斎の言及

【靖献遺言】より

…江戸前期の朱子学者浅見絅斎(けいさい)の著。8巻。…

※「浅見絅斎」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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