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許衡 きょこうXu Heng

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

許衡
きょこう
Xu Heng

[生]嘉定2(1209)
[没]至元18(1281)
中国,元の代表的学者。字は仲平。号は魯斎。河南省の農民の出。程頤 (ていい) ,朱子に傾倒し,姚枢 (ようすう) らと諸学を研究。世祖即位前に京兆提学となり,即位後,国子祭酒に任じられた。中国伝統の方法 (漢法) による統治をすすめて受入れられ,官制,朝議の諸事も定めた。至元8 (1271) 年来,集賢大学士兼国子祭酒としてモンゴル人子弟の教育にあたり,同 13年より授時暦作成に参加した。華北の朱子学盛行は彼の功績。特別な創見をもったわけではないが,儒学の沈滞した元代では,目立った存在であった。著書『許文正公遺書』 (12巻) ほか。

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デジタル大辞泉の解説

きょ‐こう〔‐カウ〕【許衡】

[1209~1281]中国、の学者。新鄭(河南省)の人。字(あざな)は仲平。号は魯斎(ろさい)。元代を代表する朱子学者。著「魯斎心法」「許文正公遺書」。

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世界大百科事典 第2版の解説

きょこう【許衡 Xǔ Héng】

1209‐81
中国,元代の朱子学者。字は仲平,号は魯斎。河南泌陽(ひつよう)の人。農民の出身であったが,学問に精進し,元朝初期の名臣竇黙(とうもく)に仏老百家を学び,次いで桃枢(とうすう)に朱子学を学んだ。この2人の推挙で南宋滅亡以前に世祖フビライに近侍し,のち,学術界に重きをなした。元朝治下に朱子学を広めた功績は大きく,呉澄とともに元の二大儒と称される。その実践に努めた消息は,その著《魯斎全書》《魯斎心法》にみえる。

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大辞林 第三版の解説

きょこう【許衡】

1209~1281) 中国、元代の学者。字あざなは仲平。号は魯斉。諡おくりなは文正。河南の人。世祖に仕え、商議中書省事となる。朱子学の普及に尽力。著「許文正遺書」

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日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

許衡
きょこう
(1209―1281)

中国、元代の朱子学者。字(あざな)は仲平、号は魯斎(ろさい)。河南省沁陽(しんよう)県の人。初め竇黙(とうもく)(1196―1280)に仏老(ぶつろう)百家を学び、姚枢(ようすう)(1201―1278)に朱子学を学んだ。この二人の名臣の推挙で南宋(なんそう)滅亡以前に世祖フビライに仕えた。豊かな学殖と人格的魅力で学術界に重きをなし、元朝治下に朱子学を広めた功績は大きい。呉澄(ごちょう)とともに元の二大儒と称される。理論的に新味はないが、実践に努めた消息は『魯斎全書』『魯斎心法』にみえ、日本でもよく読まれた。田公平]

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世界大百科事典内の許衡の言及

【授時暦】より

…中国,元代の郭守敬,王恂,許衡らによって制定された暦法。太陰太陽暦。…

※「許衡」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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