日本歴史地名大系 「加守廃寺」の解説
加守廃寺
かもりはいじ
正倉院文書の天平二十年八月以来上日帳(経師等上日帳)には、皇后宮職の舎人大初位下伊福部宿禰男依が天平二〇年(七四八)八月から翌二一年三月まで主として奈良東大寺写経所に上日したとあるが、「三月日十一夕十掃守寺別当」とあり、
とあり、掃守寺別当として、塔の造営に従事した智識・優婆塞ら六人の上日を報告したもので、当時この寺の塔が建造あるいは修造されていたことがわかる。さらに同年の造東寺(東大寺)司櫃納経并未返経論注文(正倉院文書)には「二合、納大般若経一部、奉請掃守寺」とあり、東大寺写経所で写された大般若経一部を二合の経櫃に入れて掃守寺に渡したことが知られる。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報