斎藤竜興(読み)さいとう・たつおき

朝日日本歴史人物事典 「斎藤竜興」の解説

斎藤竜興

没年:天正1.8.14(1573.9.10)
生年天文17(1548)
美濃国(岐阜県)の戦国大名。義竜の子。右兵衛大夫。母は浅井久政の娘という。永禄4(1561)年,父の病死により14歳で家督を継ぎ,稲葉山城主となる。以後,織田信長の美濃侵攻によく抗したが,同10年西美濃三人衆と称された稲葉良通(一鉄),氏家直元(卜全),安藤守就(道足)が信長に内応するにおよび,井ノ口を占領されて稲葉山城を退去した。以後,伊勢長島から畿内に赴き,三好三人衆を頼って信長に抵抗。のち越前一乗谷の朝倉義景のもとにあり,信長の朝倉攻めの際,越前刀禰坂合戦で討死した。

(谷口研語)

出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「斎藤竜興」の解説

斎藤竜興 さいとう-たつおき

1548-1573 戦国-織豊時代の武将
天文(てんぶん)17年生まれ。斎藤義竜(よしたつ)の子。母は浅井久政(ひさまさ)の娘といわれる。父の死後,美濃(みの)(岐阜県)稲葉山城(のちの岐阜城)城主となる。永禄(えいろく)10年織田信長に攻められ,越前(えちぜん)(福井県)の朝倉義景(よしかげ)をたよるが,天正(てんしょう)元年8月14日義景とともに信長軍とたたかい敗死。26歳。美濃出身。斎藤氏滅亡した。

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山川 日本史小辞典 改訂新版 「斎藤竜興」の解説

斎藤竜興
さいとうたつおき

1548~73.8.14

戦国期の武将。義竜の子。美濃国稲葉山城(現,岐阜市)城主。1561年(永禄4)家督となったが,織田信長の美濃進攻に直面氏家卜全(ぼくぜん)ら美濃三人衆の離反もあり,67年美濃放棄を余儀なくされた。一向一揆・三好三人衆・浅井氏などをへて朝倉義景を頼ったが,73年(天正元)信長が義景を攻めた際,越前国刀禰(とね)坂(現,福井県敦賀市)で敗死。道三以来の斎藤氏は滅亡。

出典 山川出版社「山川 日本史小辞典 改訂新版」山川 日本史小辞典 改訂新版について 情報

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