朝日日本歴史人物事典 「斎藤竜興」の解説
斎藤竜興
生年:天文17(1548)
美濃国(岐阜県)の戦国大名。義竜の子。右兵衛大夫。母は浅井久政の娘という。永禄4(1561)年,父の病死により14歳で家督を継ぎ,稲葉山城主となる。以後,織田信長の美濃侵攻によく抗したが,同10年西美濃三人衆と称された稲葉良通(一鉄),氏家直元(卜全),安藤守就(道足)が信長に内応するにおよび,井ノ口を占領されて稲葉山城を退去した。以後,伊勢長島から畿内に赴き,三好三人衆を頼って信長に抵抗。のち越前一乗谷の朝倉義景のもとにあり,信長の朝倉攻めの際,越前刀禰坂合戦で討死した。
(谷口研語)
出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報