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加藤咄堂 かとう

美術人名辞典の解説

加藤咄堂

教化運動家。京都生。丹波亀岡藩士加藤定穀の長男。名は熊一郎。上京して大槻如電の門に入り仏教を学び、島田蕃根大内青巒らと交わり著述と講演に活躍。中央教化団体連合会を結成し、雑誌「新修養」「こころ」を主宰した。昭和24年(1949)歿、80才。

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デジタル版 日本人名大辞典+Plusの解説

加藤咄堂 かとう-とつどう

1870-1949 明治-昭和時代の仏教学者,布教家。
明治3年11月2日生まれ。島田蕃根らに師事して明治30年代に太子信仰上宮(じょうぐう)教会の講師となる。雑誌「新修養」(のち「精神」),「こころ」を主宰。昭和3年中央教化団体連合会の結成にくわわり,講演と著述で仏教の大衆化につとめた。昭和24年4月2日死去。80歳。京都出身。英吉利法律学校(現中央大)卒。本名は熊一郎。著作に「大乗起信論講話」「維摩経(ゆいまぎょう)講話」など。

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日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

加藤咄堂
かとうとつどう
(1870―1949)

明治~昭和時代の仏教布教家。本名は熊一郎。京都に生まれ、小学校代用教員を経て20歳で上京、英吉利(イギリス)法律学校(中央大学の前身)で聴講、苦学した。岩野泡鳴(いわのほうめい)らと文芸活動もしたが、築地(つきじ)本願寺内積徳教校(しゃくとくきょうこう)の教師となってから仏教を学び、大内青巒(おおうちせいらん)と交わり『明教新誌(めいきょうしんし)』の主筆となる。麻布(あざぶ)の曹洞(そうとう)宗中学林の教師などをも務め、上宮(じょうぐう)教会に加わって講演、また護教書院や精神社を創設して文書活動をした。大正末期には斎藤実(さいとうまこと)らと中央教化団体連合会を結成し、講演、著述による教化に努めた。昭和24年4月に没し、東京・赤羽(あかばね)の静勝寺(じょうしょうじ)に葬られた。著書には『修養大講座』14巻、『維摩経(ゆいまぎょう)大講座』2巻、『大乗起信論(だいじょうきしんろん)講話』、『碧巌録(へきがんろく)大講座』15巻、『信仰実話全集』24巻、『曹洞宗説教大全』、『爐辺禅話(ろへんぜんわ)』、『雄弁法(ゆうべんほう)講話』など60余部がある。[櫻井秀雄]

出典 小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)日本大百科全書(ニッポニカ)について 情報 | 凡例

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