20世紀日本人名事典 「加藤 唐九郎」の解説
加藤 唐九郎
カトウ トウクロウ
大正・昭和期の陶芸家
- 生年
- 明治30(1897)年7月19日(戸籍:明治31年1月17日)
- 没年
- 昭和60(1985)年12月24日
- 出生地
- 愛知県瀬戸市
- 本名
- 加藤 庄九郎
- 別名
- 前名=加納 庄九郎
- 主な受賞名〔年〕
- 愛知県文化教育功労賞〔昭和29年〕,愛知県文化賞〔昭和31年〕,中日文化賞〔昭和31年〕,毎日芸術賞〔昭和40年〕
- 経歴
- 16歳のとき、父の窯を譲り受け製陶業を始めたが、20歳で加藤姓のきぬ夫人と結婚し加藤唐九郎に改名。昭和4年瀬戸古窯調査保存会を設立、27年織部写しで技術保存、記録作成の選択を受ける。戦後、日本陶芸協会や日本陶磁協会の設立などに活躍する一方、ピカソと作品を交換して話題をまいた。志野、織部のほか黄瀬戸、高麗、唐津、伊賀、信楽と多彩なジャンルに精通。作風は豪快で男性的。陶芸研究家としても日本の第一人者で、著書も「織部」「陶芸口伝」「黄瀬戸」や「原色陶器大辞典」の編纂など多数。また「陶壁」の制作にも取り組んだが、35年永仁の銘を施した自作が重要文化財に指定され、戦後最大といわれた贋作スキャンダル・“永仁の壺事件”として騒がれ、以来すべての公職を退いて作陶に専念、“野の陶人”として活躍した。平成4年31年ぶりに永仁の壺が公開された。
出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報