桃山時代に美濃(みの)焼が製した主要な作風の一つ。黄瀬戸は文字どおり黄釉(ゆう)のかかった瀬戸焼の意味であるが、窯(かま)が隣接する美濃焼は、桃山時代には京都では広く瀬戸焼として理解されていたので、美濃焼の産であっても黄瀬戸の名称がつけられたのであろう。黄瀬戸は中世の瀬戸焼の重要な釉技であった灰釉の系譜を引く釉法を母胎にしており、製品の器もやはり瀬戸と同じくあくまで中国陶磁を母型に置いていた点に特色がある。
黄瀬戸は光沢の強い灰釉である古瀬戸系黄瀬戸と、しっとりと潤いのある油揚げ肌を呈する釉中に黄土を混ぜた黄瀬戸とに大別される。前者は当時輸入されていた青磁や白磁の皿、碗(わん)、鉢などを写す量産品に多く使用されているが、後者は端正なろくろによって成形され、形は銅鑼(どら)鉢、向付(むこうづけ)、香炉、花生(はないけ)など茶具で占められる高級器皿であり、草花文様をスタンプで表して、銅や鉄を点じて緑彩、褐彩してきわめて瀟洒(しょうしゃ)な味わい深い雅陶につくりあげられている。むろん桃山ならではの創意は後者によく示されており、今日の声価も高い。江戸時代に入ると灰釉の系譜の主流は美濃焼では御深井(おふけ)釉へと転ずる。
[矢部良明]
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…その源流は7世紀代に始まった須恵器生産にあるが,平安時代中期には愛知県猿投(さなげ)窯の影響を受けて白瓷生産を,平安末から室町中期にかけて白瓷系陶器(山(やま)茶碗)を,室町前期からは古瀬戸系施釉陶器を焼いており,広義の猿投窯系陶器の一分枝とみることができる。狭義の美濃焼は瀬戸黒,黄瀬戸,志野,織部などを焼いた室町末~桃山時代以降の陶器を指しており,当時の茶会記をみると,天文・弘治年間(1532‐58)の〈天目 美濃〉〈天目 濃州〉の記載から,永禄(1558‐70)以後〈セト茶碗〉〈セト水指〉などと瀬戸の名を冠して呼ばれるようになり,江戸時代に入ると尾張藩の統制下におかれて瀬戸焼として扱われた。〈美濃焼〉の名称が文書に登場するのは1832年(天保3)からである。…
※「黄瀬戸」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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