加藤唐九郎(読み)かとうとうくろう

精選版 日本国語大辞典 「加藤唐九郎」の意味・読み・例文・類語

かとう‐とうくろう【加藤唐九郎】

陶芸家。本名、庄九郎。愛知県出身。桃山時代瀬戸美濃の陶磁を研究し、独自の作風をきずいた。明治三〇~昭和六〇年(一八九七‐一九八五

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デジタル大辞泉 「加藤唐九郎」の意味・読み・例文・類語

かとう‐とうくろう〔‐タウクラウ〕【加藤唐九郎】

[1898~1985]陶芸家。愛知の生まれ。伝統的な陶磁器調査・研究に従事。桃山時代の黄瀬戸織部の写しなどにすぐれた。

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「加藤唐九郎」の意味・わかりやすい解説

加藤唐九郎
かとうとうくろう
(1897―1985)

陶芸作家。愛知県東春日井(ひがしかすがい)郡水野村(現瀬戸市水野町)の窯屋の家に生まれる。戸籍名は庄九郎(しょうくろう)。祖母たきの庇護(ひご)のもとに名人職人になるべく養育されたが、18歳のとき窯屋の経営に失敗して会社員になったこともあった。29歳のときに陶芸に専念し、かたわら陶磁器の学術研究に打ち込み、各地の古窯址(こようし)の発掘調査も行った。1930年(昭和5)に志野茶碗(しのぢゃわん)「氷柱」を発表して以来、中世の瀬戸焼、桃山時代の志野、黄瀬戸、織部(おりべ)など瀬戸美濃(みの)地方の伝統陶芸を目標に定めて作陶し、持ち前の天衣無縫な気質によって個性づけられた独自の作風を開拓した。晩境になるほどにその美的内容を深めた、現代の代表的陶工である。55年(昭和30)に愛知県文化功労者として県より表彰された。

[矢部良明]

『作品集『陶芸唐九郎』(1977・毎日新聞社)』『林屋晴三編『現代日本陶芸全集11 加藤唐九郎』(1981・集英社)』

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「加藤唐九郎」の意味・わかりやすい解説

加藤唐九郎
かとうとうくろう

[生]1898.1.17. 愛知,瀬戸
[没]1985.12.24. 名古屋
陶芸家。号は一無斎,一無山人。瀬戸古窯地の調査を通じて古瀬戸織部焼志野焼技法を研究し,高度な陶芸技術に達した。 1954年愛知県文化教育功労賞,同文化賞,中日文化賞などを受賞。 55年織部焼の重要無形文化財技術保持者に認定された。奇行の陶芸家として知られる。著書に『やきもの随筆』,編著に『原色陶器大辞典』がある。

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デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「加藤唐九郎」の解説

加藤唐九郎 かとう-とうくろう

1897-1985 大正-昭和時代の陶芸家。
明治30年7月19日生まれ。陶磁器を研究し,瀬戸周辺の古窯を調査・発掘する。織部,黄瀬戸,志野の再現につとめ,独自の作品を制作。昭和27年織部焼で無形文化財保持者となる。35年永仁(えいにん)の壺事件で公職を辞した。昭和60年12月24日死去。88歳。愛知県出身。本名は庄九郎。著作に「黄瀬戸」。
【格言など】芸術は一種の革命でなければならない

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