日本歴史地名大系 「勝専寺」の解説 勝専寺しようせんじ 和歌山県:日高郡南部町南道村勝専寺[現在地名]南部町南道南道(みなみどう)の西部にある。松崎山と号し、浄土真宗本願寺派。本尊は阿弥陀如来。宝物濫觴当山正統記(寺蔵)によると、笠(かさ)島(現和歌山県串本町)の本(もと)ノ宮(みや)権現の神官志場若太夫(法名興信)が永享五年(一四三三)南部に移住、その後、真宗の教えを聞いて入信、小庵を建てたのに始まる。その子若太夫は冷水(しみず)浦(現同県海南市)に来た本願寺八世蓮如に帰依し、了西という法名と六字名号を受けて道場を開いた。その頃、南部荘一五ヵ村の地頭で西本庄(にしほんじよう)(現同県南部川村)の平須山(へいすやま)城主野辺弾正の悪政に苦しんだ農民は、村役人・百姓連判の起請文をもって道場主に救いを求めた。 勝専寺しようせんじ 滋賀県:高島郡安曇川町北船木村勝専寺[現在地名]安曇川町北舟木弘誓山と号し、浄土真宗本願寺派。本尊阿弥陀如来。天保下寺帳によれば、永正一一年(一五一四)正空の開基という。寺蔵の阿弥陀絵像裏書には、永正一一年の年紀と願主釈正空の名が判読できる。慶長六年(一六〇一)浄俊が准如より下付された親鸞絵像裏書には本福(ほんぷく)寺(現滋賀県大津市)門徒とあり、開基正空は本福寺門徒であったと思われる。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報