国指定史跡ガイド 「勝尾城筑紫氏遺跡」の解説
かつのおじょうちくししいせき【勝尾城筑紫氏遺跡】
佐賀県鳥栖(とす)市牛原町・山浦町・河内町にある城館跡。鳥栖市北西部に位置する標高501mの城山(じょうやま)とその山麓の谷筋に広がる戦国時代後期の城館群で、2006年(平成18)に国の史跡に指定された。2010年(平成22)には追加指定があり、面積約230haとなり、福井県の一乗谷朝倉氏遺跡に匹敵する規模である。この地は筑前・筑後に接する交通の要地で、少弐(しょうに)氏から分かれたとされる筑紫氏が、明応年間(1492年~1501年)に勝尾城に入ったが、1586年(天正14)、島津氏に攻められて落城。筑紫氏はその翌年には豊臣秀吉により転封され、城は廃城となる。城跡は東西約300m、南北約250mで、東側には小規模な石材を積み上げた石垣塁線と横堀がみられ、南山麓には瓦葺きの建物と庭園をともなう館跡が所在し、5つの支城(鬼ヶ城・高取城・葛籠(つづら)城・鏡城・若山砦)に防備された谷部には城下町が配置されていた。城下町は長大な堀と土塁によって画された4つの空間からなり、それぞれ家臣団屋敷跡、寺社跡、町屋跡などが所在。出土遺物は輸入陶磁器・国内産陶器・瓦器・瓦などで、陶磁器の時期は16世紀後半を主体としていることから、戦国期の歴史を考えるうえで重要な遺跡といわれている。葛籠城へは、JR鹿児島本線ほか鳥栖駅から西鉄バス「東橋」下車、徒歩約5分。