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高取城 たかとりじょう

日本の城がわかる事典の解説

たかとりじょう【高取城】

奈良県高市郡高取町にあった山城(やまじろ)。戦国時代は筒井順慶(じゅんけい)の詰(つめ)の城。美濃岩村城(岐阜県恵那市)、備中松山城(岡山県高梁市)とともに日本三大山城の一つ。国指定史跡。日本城郭協会選定による「日本100名城」の一つ。南北朝時代に豪族の越智邦澄(おちくにずみ)が標高583mの高取山の頂に砦のような城を築いたのが始まりとされる。織田信長の大和一国一城令により廃城となったが、1584年(天正12)に筒井順慶が大和郡山城の詰(つめ)の城として復興した。1585年(天正13)、大和郡山城主羽柴秀長(ひでなが)の重臣本多正俊が高取城主となり、天守閣・石塁などの本格的な築城を進めた。本多家は利家に嗣子がなく断絶。1640年(寛永17)幕府大番頭の植村家政が2万5000石で入封し、以降、明治維新にいたるまで植村家が14代228年続いた。高取城は山頂に本丸をおき、堀は2.8kmの大規模なものだった。明治初期に建物は取り壊されたが、縄張りはほぼ完全に遺構をとどめ、二の門が子嶋寺に、新御殿表門が石川医院に移築されている。近鉄吉野線壺阪山駅からバスで壺阪寺下車、徒歩20分。◇芙蓉城(ふようじょう)ともいわれた。

出典|講談社日本の城がわかる事典について | 情報

日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

高取城
たかとりじょう

戦国期~江戸期の城。奈良県高取町高取にあり、典型的な山城(やまじろ)として知られる。伝承では南北朝期に越智邦澄(おちくにずみ)が創築したというが不明。戦国期、越智氏の貝吹(かいふき)城の詰の城として重視された。貝吹城が落ちたあと、越智氏の本城となり、越智氏の滅亡後は郡山(こおりやま)城の支城となった。豊臣秀長(とよとみひでなが)の臣本多太郎左衛門(ほんだたろうざえもん)のときに大改修が施され、本多氏断絶後、1640年(寛永17)から植村(うえむら)氏が2万5000石で14代続き、明治維新に至った。堀、石垣がよく残る。[小和田哲男]

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