日本歴史地名大系 「勝山記」の解説
勝山記
かつやまき
一冊
別称 勝山日記・妙法寺記
成立 慶長年間
写本 富士御室浅間神社
解説 私年号である師安五年から永禄二年までの年代記。もともと表題はなかったが、「甲斐国志」の引書目録に「勝山記」と載り、県指定文化財としての名称もそれが採られた。また同目録には二冊とあるが、現在は一冊になっている。甲斐関係の記事は文正元年以降が詳しく、富士北麓地方の領主の動きや戦乱をはじめ、気候・地震・風水害・干害・飢饉・経済状況・農作物・富士道者など興味深い内容が多い。もとは現在よりも枚数が多く、前は貴楽元年(私年号)、後は永禄六年までの記事が江戸末期まであったことが他の写本によって確認できる。原本は伝存しておらず、写本に勝山記系と妙法寺系とがあるが、富士御室浅間神社所蔵本が最も原本に近いとされている。著者については、富士御室浅間神社支配下の浄蓮寺住僧という説と、河口湖町木立の妙法寺住僧が書継いだとの説があったが、最近本書は神社に隣接する常在寺およびその末寺僧らによって書継がれたもので、「常在寺衆中記」ともいうべきものとの新説が提示され、それを証するように「勝山記」のもととなったとみられる日国覚書が常在寺から発見されて通説の見直しは必須となった。文正元年―永禄六年が本来書継がれた「勝山記」に相当する部分で、それ以前はのちに付加されたものと考えられる。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報