富士御室浅間神社(読み)ふじおむろせんげんじんじや

日本歴史地名大系 「富士御室浅間神社」の解説

富士御室浅間神社
ふじおむろせんげんじんじや

[現在地名]勝山村 富士山二合目

勝山村の飛地である富士山北口二合目に山宮(本宮)、勝山村の北東端に里宮がある。里宮は南面して富士山に正対し、背後には河口かわぐち湖が広がる。祭神は木花開耶姫命。旧県社。戦国期には北室きたむろ・御室と称され(富士御室浅間神社文書)、「勝山記」は山宮を「山室」「富士山北室」と記す。「甲斐国志」は山宮を小室おむろ浅間明神、里宮を富士浅間明神とし、「社記」はそれぞれ富士山北口本宮御室浅間社、里宮浅間宮と表記する。山宮は、富士山山中に最初に勧請された社とされる。「甲斐国志」は、「三代実録」貞観七年(八六五)一二月九日条が、前年からの富士山の噴火を鎮めるため甲斐国八代郡に祀り官社に列したと記す浅間明神を山宮に比定する。「三代実録」に「正中最頂飾造社宮」とある一節をその根拠として引用している。

戦国期には武田・小山田両氏をはじめ、その滅亡後も歴代の領主から厚い崇敬を受けた。文明七年(一四七五)八月三日、大原おおはら庄に勢力を張った小林正喜は「大原かた山御むろのかきとり」に対し「とろくほ阿な山」を神領として確認している(「小林正喜証文」富士御室浅間神社文書、以下断らない限り同文書)。年未詳であるが武田信虎は、八月一七日富士浅間大菩薩の宝前に太刀一腰ほかを寄進した(「武田信虎願文写」甲斐史料集成稿)。同じく一二月七日には神主の負担する勝山之郷棟別役を免除している(武田信虎判物)。子の晴信(信玄)は、弘治三年(一五五七)一一月一九日、永禄九年(一五六六)五月の両度にわたり北条氏政に嫁した息女の安産を祈願している(武田晴信願文・武田信玄願文)。同八年には、市川家光を奉行として三六日間に及ぶ大般若経真読の法要を催した(同年三月二八日市川家光印判状など)。市川家光は、武田氏が当社神主に対し鉄炮の弾丸に供することを目的に悪銭の上納を命じた際にも、奉行を勤めている(年未詳六月一一日市川家光印判状)

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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