日本歴史地名大系 「勝瑞城跡」の解説
勝瑞城跡
しようずいじようあと
勝瑞地区の中央部よりやや北寄りに位置する中世の平城跡。吉野川の本支流に囲まれた低湿地帯の中央部に位置し、周辺の標高は約二・五メートル程度である。
承久三年(一二二一)に小笠原長清の子長経が守護として阿波に入り、
天文二二年、勝瑞城では三好義賢(之虎・之康・実休)が守護細川持隆(持重)を殺害し、実権を奪った。この事件については天文二一年とする説もある。永禄三年(一五六〇)義賢が兄三好長慶の命により河内
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報