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勝連城 かつれんじょう

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日本の城がわかる事典の解説

かつれんじょう【勝連城】

沖縄県うるま市にあった城(グスク)で、12~13世紀ごろに勝連按司(かつれんあじ)によって築かれた。沖縄本島中部の与勝(よかつ)半島の丘陵地にあり、高さ100mの台地に建つ城は、5つの郭が階段状につながっている。琉球王国時代には海外との貿易を盛んに行い、首里城(那覇市)に負けないほどに栄えたが、最後の城主となった阿麻和利(あまわり)は、琉球王国に抵抗する有力な按司として恐れられていたため、中山軍(ちゅうざんぐん)により滅ぼされた。城は1972年(昭和47)に国の史跡に指定され、2000年(平成12)、首里城跡などとともに、「琉球王国のグスク及び関連遺産群」としてユネスコ世界遺産文化遺産)にも登録された。那覇バスターミナルから27バス1時間40分で西原下車、徒歩10分。

出典|講談社
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日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

勝連城
かつれんじょう

沖縄県うるま市勝連南風原(かつれんはえばる)にある城跡。方言で「カッチングスク」という。13世紀ごろに創建され、代々勝連按司(あんじ)の居城として繁栄したが、1458年(長禄2)に国王軍により城主阿麻和利(あまわり)とともに滅んだ。その繁栄ぶりはオモロにもうたわれ、発掘調査の成果もその栄華の一端を裏づけている。注目すべき点は、この城の立地する丘はもともと先史時代末期(グスク時代)の集落のあった場所であり、その一角に共同体の祭祀(さいし)上の結節点にあたる聖所が存在したことである。集落移動後、その跡に聖所を取り巻く形で石垣を積み城塞(じょうさい)化したものが勝連城であった。グスク問題に一石を投ずる遺構として国史跡に指定され、城壁の復原工事を含む整備が行われている。2000年(平成12)琉球(りゅうきゅう)地方の独特な文化遺産を対象に「琉球王国のグスクおよび関連遺産群」が世界遺産の文化遺産に登録されており、登録遺産群9か所のうちの一つに含まれている。(世界文化遺産)。[高良倉吉]
『高良倉吉著『琉球の時代』(1980・筑摩書房)』

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世界大百科事典内の勝連城の言及

【勝連[町]】より

…太平洋に突出する与勝(よかつ)半島の大部分と浜比嘉(はまひが)島,津堅(つけん)島を含み,半島部はおおむね標高50m以下の石灰岩の台地をなす。琉球王朝時代の15世紀前半は阿麻和利の居城であった勝連城(跡は史跡)が大きな勢力圏をもっていて,勝連文化とも称せられる隆盛期であった。半島の突端,平敷屋(へしきや)で産する建設用石材トラバーチンは,第2次世界大戦前に国会議事堂の表玄関に使用された。…

【中城[村]】より

…海岸沿いの肥沃な沖積低地と背後の丘陵地からなる。第一尚氏王統の尚泰久時代(1454‐60)に忠臣護佐丸が与勝(よかつ)半島の勝連(かつれん)城に拠る阿麻和利への抑えとして配され,北部台地上に中城城を築城ないし増築した。だが阿麻和利は逆に讒訴(ざんそ)して討手となり中城城を攻撃,護佐丸は一矢も報いず自刃した。…

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