日本大百科全書(ニッポニカ) 「化学実験」の意味・わかりやすい解説
化学実験
かがくじっけん
chemical experiment
化学は物質を研究対象とする学問であり、組成・構造・状態の分析、特性の測定、反応機構の解明、新物質の合成などを目的として、化学反応を利用したり、物理学的あるいは生物学的手段を利用して実験が行われる。実験を行うには、目的に応じた設備のある実験室で、適切な化学薬品、実験器具、測定機器などを用いる。化学実験には、危険物、有毒物、有害薬品を用いることも多く、それらの取扱いには十分注意するとともに、不測の事態がおきても被害を最小限度にとどめるよう、日常的な防災対策に配慮する必要がある。
[岩本振武]
化学実験室
4階建て程度を限度とする独立した建物に集中して設置するのが望ましく、実験室、測定室と居室とは分離するのがよい。通常の出入口のほかに非常口を設け、それらの出入口付近には、危険な薬品や転倒、転落、移動のおそれのある重量物を置いてはならない。直射日光が射し込む場所には、揮発性、引火性、あるいは爆発性のある薬品を置いてはならない。消火器や非常用シャワーを常備し、大きい建物では防火区域をくぎる必要がある。
実験台には、電気、ガス、水道のほか、加熱用水蒸気、蒸留水、窒素その他の高圧ガス供給栓を設けることがあり、排水あるいは洗浄用の流しが取り付けられる。多量の蒸気や有毒気体を発生する実験は、強制排気装置のついたドラフト(通気室)内で行う。ドラフトの前面のガラス扉には防爆ガラスを用いる。実験に使用した廃薬品は、建物全体で一括処理する場合を除き、流しに直接捨てず、種類に応じて区分されている廃薬品容器に移して分別処理する。
[岩本振武]
実験用薬品
化学実験に用いられる薬品は試薬とよばれる。試薬には、種類、純度、用途に応じて規格が定められているものが多い。危険物や毒物・有害薬品には、その取扱いが法令で規制されているものがある。実験室に保管する試薬は必要量にとどめ、多量の試薬は薬品庫に保管する。混触発火のおそれがある試薬は別々に保管し、転落を防ぐよう注意する。
[岩本振武]
実験器具
化学実験器具には、その用途、機能、形状に応じて独特の名称がつけられているものが多い。創案者の人名を冠した名称も多い。汎用(はんよう)性のあるものは多量に生産、販売されているが、特殊な目的の実験では、実験者が自ら組み立て、あるいは製作する場合もある。従来の化学実験では、手動操作される装置が使われていたが、現在では自動操作されるものも多く取り入れられている。
計測器具、計器類等の機械は測定機器とよばれているが、ここでは簡単な道具としての計測器具を例示する。
化学実験測定のもっとも基本となる重量測定用の天秤(てんびん)には、きわめて精密なものから概略値測定用の粗いものまであるが、現在では自動化や電子化が進み、むしろ測定機器に属するといえる。操作や保守には細心の注意を要するが、扱いそのものは手動のものより容易になっている。
化学天秤で試料を正確に量り取るのにははかり瓶を、上皿天秤で概略値を量り取るのには時計皿を用いる。試料の乾燥や保存にはデシケーターが用いられ、乾燥剤としては、シリカゲル、塩化カルシウム、過塩素酸マグネシウム、五酸化リン、濃硫酸、水酸化ナトリウムなどが利用される。
(1)測容器 液体、溶液の体積を測定する器具には、ピペット、ビュレット、メスフラスコ、メスシリンダーなどがある。前二者は排出される体積を測定する出し用体積計、後二者は内容の体積を測定する受け用体積計である。
ピペットには、刻線まで満たした全体積を測定するホール(全容)ピペットと、液面の移動を目盛りで読み取って排出体積を測定するメスピペットがある。駒込(こまごめ)ピペットとよばれるものは、目盛り精度の低い簡便な器具である。
ビュレットは、用途に応じてさまざまな形式のものがあるが、容量分析用の基本的体積計である。ピペット、ビュレットともに、操作を自動化したもの、あるいは微量を高精度で測定できるものが開発されている。
メスフラスコは、濃度の正確に定まった溶液の調製に使われる。メスシリンダーは、本来は液面の移動を目盛りで読み取り、体積の変化を測定する受け用体積計であるが、一般にはむしろ液体の一定量を分取する出し用に使われることが多い。この場合、ピペットやビュレットに比べれば、精度ははるかに劣る。
体積計の正確度には、計量法で定められた規格があり、検定に合格した器具には検定証印がつけられている。ビーカーやフラスコにも容積を示す刻線がつけられている製品もあるが、これらは体積計ではなく、目盛りの保証はない。
(2)容器 円筒形で上部に注ぎ口があり、底が平らなものをビーカーという。上部に向かってしぼりのあるビーカーは三角(コニカル)ビーカーとよばれる。溶液の調製や、穏やかな反応の容器として使う。フラスコは、細いくび(頸)をもつ容器で、丸底フラスコ、平底フラスコ、三角(エルレンマイヤー)フラスコなどがある。加熱、蒸留や、やや激しい反応の容器として使う。
液体は一般に細口瓶、固体は広口瓶に保存される。体積計を含めたこれらの容器はガラス製のものが多いが、内容によっては、ポリエチレン製、磁製、ステンレス製などのものも用いられる。
(3)分離用器具 液体中の不溶物あるいは溶液から生成した沈殿を分離する固相と液相との分離には、濾過(ろか)が行われ、濾過によって固体を取り出すことを濾別するという。濾過には自然流下法と吸引濾過法がある。自然流下法は漏斗(ろうと)と濾紙、あるいはこれにかわる濾過層を用い、液体を自然流下させて固体を濾別する。
濾紙には、灰分が少なく純度の高い定量用濾紙と、定性用濾紙がある。定量用濾紙は、濾別する沈殿物の粒径に応じて目の細かさが3ないし4段階に分かれている。鉄やアルミニウムの水酸化物などは粗目、硫酸バリウムなどは細か目の濾紙が適する。定性用濾紙からは、紙の繊維、ケイ酸、鉄などが溶液に混入するおそれがあるので注意を要する。濾紙は濾過に用いるほか、ペーパークロマトグラフィーの吸着媒質に用いたり、その吸湿性を利用して、合成品の乾燥に用いたりすることもある。
吸引濾過法は、漏斗の脚部と受け器の口を密着させ、受け器の内部を水流ポンプや真空ポンプで排気し、濾過速度を速める方法である。固体を濾別して取り出すことを目的とするときは、ブフナー漏斗と吸引瓶を用いるが、濾液を必要とするときには、ガラス濾過器と濾過鐘(しょう)を用いることがある。ブフナー漏斗には、底面内径よりやや小さい径の円形濾紙を濾過層として用いる。ガラス濾過器は、細孔の通じている融着ガラスを濾過層としている。濾別した沈殿をそのまま定量分析に供するときには、グーチるつぼやガラスるつぼのような濾過るつぼを用いる。水流ポンプはアスピレーターともよばれ、先端の細いノズルから勢いよく流体を噴出させると周囲の気体が引っ張られて減圧になる原理を利用している。
互いに混和しない二つの液相があり、一方の液相の溶質あるいは懸濁物を他方の液相に移す操作を溶媒抽出という。溶媒抽出用の簡便な器具に分液漏斗がある。溶媒を還流しながら固相から連続抽出を行う装置に、ソックスレー抽出器がある。還流とは、液体を加熱気化してから冷却液化し、もとの容器へ戻す操作であり、還流冷却管を用いる。
蒸留は、液体を加熱気化してから冷却液化して別の容器へ移す操作である。蒸留用には、丸底フラスコ、冷却管、受け容器を組み立てた装置を利用するが、蒸留水製造装置のように組み立てられた一式として販売されているものもある。液体の沸点が高かったり、高温度では分解するような液体では、減圧蒸留を行うことが多い。蒸留系を真空ポンプで排気しながら蒸留するが、各器具の接合部は摺合(すりあわ)せにして気密を保つようにする。丸底フラスコのほか、クライゼンフラスコ、フーベンフラスコが用いられる。リービヒ冷却器はもっとも一般的な蒸留用冷却管である。
溶液から溶媒を蒸発飛散させるには、蒸発皿を用いる。底の平らなものは結晶皿であるが、同形ではあるが注ぎ口がなく蓋(ふた)付きのものをシャーレあるいはペトリ皿とよび、細菌培養や小形器具の保存容器に使われる。
ある媒質中での各成分の移動性の差を利用する混合物の分離法には、ゾーン(帯)融解法、電気泳動法、クロマトグラフィーなどがある。クロマトグラフィーでは、固定された媒質を固定相、移動する液体または気体を移動相とよんでいる。固定相としては、濾紙、ガラス板上に塗布したゲル、固体担体上に吸着した液体、アルミナ、イオン交換樹脂などがある。濾紙を用いるものをペーパークロマトグラフィー、イオン交換樹脂を用いるものをイオン交換クロマトグラフィーとよぶほか、気体混合物を分離するものをガスクロマトグラフィーとよんだりする。
(4)反応用器具 試験管はもっとも簡単な反応容器であり、大小さまざまなものがある。
フラスコには、試薬の添加、通気、測定などの便宜のために、開口部が複数ある多口フラスコがある。容器の内容物をかき混ぜるのには、ガラスまたはプラスチックなどの中へ封入した鉄片を入れ、外部から磁石をモーターで回転させて内部をかき混ぜる磁気スターラーを利用することが多い。
水分や酸素を嫌う反応は、密閉系あるいは外部から窒素、またはアルゴンガスを送り続ける系で行うが、とくに低圧を要する場合は、ガラス管に種々のガラス容器や器具を接合し、全体を真空ポンプで排気する真空系を利用する。
(5)加熱実験器具 実験室用熱源としてもっとも簡便なアルコールランプは、発生熱量があまり大きくない欠点はあるが、移動が容易な利点もある。ガスバーナーは広く用いられる熱源である。ブンゼンバーナーは有名ではあるが、実際に多用されているのはテクルバーナーである。テクルバーナーでは、るつぼの内部を1000℃程度にすることができる。火口を広げて網をかぶせたメケルバーナーでは1200℃にまで達するといわれている。
裸火を嫌う実験では電気熱源が利用され、温度センサーやバイメタルによって温度を検知し、電流を断続することにより、温度制御を行うことも容易である。とくに高温度を必要とするときにはアーク炉のような特殊な炉も用いられる。電熱線をはめ込んだ素焼を炉壁とする電気炉には、直方体形の加熱室をもつ通常のもののほか、るつぼの加熱に適したるつぼ炉、管の加熱に適した管状炉などがある。耐熱性の管としては、石英管やバイコールガラス管が用いられる。数百℃程度の加熱には、金属板全体をほぼ均一に加熱して熱源とするホットプレート、ガラス繊維布の中に電熱線を収めて屈曲性をもたせたリボンヒーター、フラスコの底部に適合する形に仕上げたマントルヒーターなどが利用される。理容器具のヘアドライヤーと同じ原理の熱風吹き出し機は、実験装置の局部的加熱に便利である。赤外線ランプも溶媒の穏やかな蒸発などに適した熱源であり、白熱電球も小規模熱源として利用される。
試薬やガラス器具の乾燥には電気乾燥器が利用されるが、これは空気浴の一種である。金属製の容器に水あるいは油を入れ、これを加熱して熱媒体とし、間接的に他の容器を加熱する装置を湯浴あるいは油浴という。
重量分析で沈殿を加熱恒量するには、磁製るつぼ、石英るつぼ、白金るつぼ、グーチるつぼなどが用いられる。実験目的に応じて、黒鉛、アルミナ、ニッケル、タンタルなどのるつぼも用いられる。ガラスるつぼは、比較的低温で乾燥恒量する重量分析に用いられる(揮発成分を揮発させて一定重量を得たとき恒量に達したという)。
室温付近で一定温度を長時間保つには、定温槽が利用される。水あるいは油を熱媒体として温度制御装置によって定温を保つ。生化学では、37℃付近の定温槽が重要であるが、精密な温度制御が可能な空気浴も用いられる。とくに精密を要する測定は、空気調節の施されている定温室あるいは定温定湿室で行う。
(6)低温実験器具 低温を得るためには、冷蔵庫、冷凍庫、冷凍室が利用されるが、実験装置を局部的に冷却するには、デュワー瓶が用いられる。二重ガラス管の内部を金属めっきして真空脱気した容器で、断熱性に優れている。これに、たとえば氷と塩化ナトリウム、ドライアイスとメタノール(メチルアルコール)、液体窒素などの寒剤を入れ、そこへ反応容器を浸漬(しんし)する。室温以下から零下180℃以上くらいの温度範囲で連続的に温度制御を行うには、液体窒素容器中に電気ヒーターを投入し、電流を調節しながら気体窒素の蒸発量を増減し、発生した低温窒素気体の流量で間接的に冷却する装置を用いる。さらに低い温度は、液体水素(沸点20K)、液体ヘリウム(沸点4.2K)を利用する。このような冷却装置をクライオスタットという。
(7)気体実験器具 代表的な気体発生装置としてキップの装置があるが、実験室で小規模に気体を発生させるには、固体の加熱分解、液体の加熱、酸または塩基と金属・金属塩などとの反応、揮発性酸への不揮発性酸の添加など、さまざまな化学反応が利用される。発生した気体は、乾燥塔や洗気瓶を通して精製される。脱水剤や吸収剤は、気体の性質に応じて選択する。酸性気体の乾燥には、濃硫酸あるいは五酸化リンが適する。塩基性気体には、水酸化ナトリウム、酸化カルシウムなどが適するが、これらは同時に二酸化炭素の吸収剤にもなる。
比較的多量かつ連続的に気体を得るには、高圧ガス容器(ボンベ)を利用する。鋼鉄製の円筒形耐圧容器で、安全性を確保するために法定規格がある。内容物によっては外壁の塗色が定められているものもあり、二酸化炭素は緑、酸素は黒、塩素は黄、アンモニアは白、水素は赤、アセチレンは褐色である。水素、一酸化炭素、可燃性有機ガスのボンベは取出し口のねじが通常とは逆の左ねじに切ってあり、他の助燃性ガス(酸素、亜酸化窒素)の系統との誤接合を防ぐようになっている。
(8)その他の器具 固体試料を粉砕するためには、乳鉢を用いる。磁製、硬質アルミナ製、めのう製の乳鉢が用いられるが、めのう製はきわめて硬いので、岩石などの粉砕に利用できる。しかし、打撃には弱いので、たたいてはならない。粗い粉砕には鋼臼(こうきゅう)を用いる。多量の粉砕にはボールミルなどの粉砕機を利用することもある。
液体と固体との分離法に遠心分離が利用されることも多く、実験台上で手軽に用いる手回しのものから、大形の電動遠心分離機までいろいろな性能のものがある。生化学では、低温度で行う冷凍遠心分離機や、とくに高速で回転させる超遠心分離機が利用されている。
実験室で多量に使用される高純度水には、一般に脱イオン水と蒸留水とがある。脱イオン水は、イオン交換樹脂によって溶存するイオンを除去した水で、導電率だけからみると高純度であるが、コロイドなどの不純物が残存するおそれがある。蒸留水では、原水である上水に加えられた塩素や、器壁からの微量の溶出物が残ることがある。イオン交換処理と蒸留を組み合わせると、純度のとくに高い水が得られる。実験室では、ポリエチレン製の吹出し口をもった洗瓶に入れて用いることが多い。
[岩本振武]
化学実験のマナー
化学実験を行うにあたっては、実験内容について詳しい説明のある参考書、文献を調査して、準備すべき試薬、器具を整え、ノートなどに実験の手順を書き、とくに有毒物の使用や危険性のある操作については、事前に十分心得ておく必要がある。実験中は実験台を離れず、進行状況を絶えず観察し、変化のあるときにはかならずノートに記入しておくことがたいせつである。服装にも注意し、実験衣、作業衣を着て、長すぎる頭髪は帽子などで保護する。また、表面の甲の堅い靴を履くこともたいせつであり、化学反応実験を観察する際には防護眼鏡を着用する。廃棄物の処理には法規制のあることも考慮して、環境保全にも十分注意すべきである。
[岩本振武]
『緒方章他著『化学実験操作法』(1979・南江堂)』▽『佐藤弦・杉森章著『化学実験の基礎知識』(1981・丸善)』