日本歴史地名大系 「北ノ川村」の解説 北ノ川村きたのかわむら 高知県:幡多郡大正町北ノ川村[現在地名]大正町北ノ川広瀬(ひろせ)村の北方、仁井田(にいだ)川とこれに北から流れ込む相去(あいざれ)川との合流点にある。「土佐州郡志」は「東限高岡郡仁井田秋丸、西限打井川、南限上宮村大川、北限烏手村、有谷川流過、東西一里南北十三町、戸凡二十」と記す。上山(かみやま)郷上分(かみぶん)の一村。村名は慶長二年(一五九七)の上山郷地検帳に喜多川村・北川(北ノ川)村とみえ、喜多川村は広狭両義で用いられている。すなわち広義の喜多川村は北川(北ノ川)村・上宮(じようぐう)村・ハリ木村・広瀬村・狭義の喜多川村・一のまた(市野又)村・北川カラステ(烏手)村・北川ヒルハシ村・東また村・北川折相(おれあい)村の小村から構成されており、検地面積は五五町余、ほかに切畑六反余があった。 北ノ川村きたのかわむら 高知県:高岡郡窪川町北ノ川村[現在地名]窪川町北ノ川勝賀野(しようがの)村の西北、四万十(しまんと)川に流入する北ノ川川に沿う。「仁井田郷談」(「南路志」所収)によると古くは仁井田(にいだ)庄本在家(ほんざいけ)郷一二村の一。天正一六年(一五八八)の久礼分地検帳には「北川村」とみえ、地積七町九反余、ヤシキ一二筆でほとんどが佐竹分。江戸時代の前期には土佐藩家老窪川山内氏の知行地であった。元禄地払帳では総地高一一九石余、うち本田高八〇石余、新田高三九石余。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by