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北山院 きたやまいん

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

北山院
きたやまいん

[生]正平24=応安2(1369)
[没]応永26(1419).11.11. 京都
室町幕府3代将軍義満の室日野康子。日野資康の娘。後小松天皇の母通陽門院厳子の病没とともに准三宮となり,翌応永 14 (1407) 年院号の宣下をこうむり,その居所の名をもって北山院と称した。

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デジタル版 日本人名大辞典+Plusの解説

北山院 きたやまいん

1369-1419 室町時代,足利義満の妻。
応安2=正平(しょうへい)24年生まれ。日野資康(すけやす)の娘。北山第南御所にすみ,二位殿,南御所とよばれた。応永13年後小松天皇の生母通陽門院が病没すると義満の意向で天皇の准母(じゅんぼ)となり,翌年北山院の号をあたえられた。皇族や後宮以外で院号をうけた唯一の例。応永26年11月11日死去。51歳。名は康子。

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朝日日本歴史人物事典の解説

北山院

没年:応永26.11.11(1419.11.28)
生年:応安2/正平24(1369)
室町時代,足利義満の正室。日野康子の院号。日野資康の娘で,応永初年ごろ室町幕府3代将軍足利義満の妻となる。寝殿,二位殿と称される。応永13(1406)年,後小松天皇の生母通陽門院が死去した際,天皇の准母となった。このことにより義満は天皇の父として,出家後,自らを法皇に擬し,また北山第を営んで仙洞に擬したといわれる。14年康子が院号宣下を受けるにおよんで院司がつけられた。北山院の院号は義満によって選ばれ,同年3月23日には入内始めの儀が華々しく執り行われた。しかし,15年の義満没後,次の将軍義持からは好遇されず,かつての華やかさのない晩年を送り,北山第南御所で没した。死後も国母に准じた扱いはなされず,葬儀も略式で天下触穢も諒闇もなかったという。北山第も処分され,応永28~29年ごろには鹿苑寺(金閣寺)と号するところとなった。<参考文献>臼井信義『足利義満』

(西尾和美)

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世界大百科事典 第2版の解説

きたやまいん【北山院】

1369‐1419(正平24∥応安2‐応永26)
室町幕府3代将軍足利義満の妻。藤原康子権大納言日野資康の娘で,応永の初め義満に嫁し,のち叔母に当たる正妻の業子をしのいで正妻となる。義満の北山第に住み,義満の行楽に従うことが多く,当代権勢随一の女性であった。1406年(応永13)暮れ,後小松天皇の母病没の直後,義満の意によって准母・准三宮となり,翌春北山院の号を与えられた。皇族でも天皇の後宮でもなくて准母・女院となった唯一の女性。【佐藤 進一】

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日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

北山院
きたやまいん
(1369―1419)

足利義満(あしかがよしみつ)夫人。権大納言(ごんだいなごん)日野資康(すけやす)の女(むすめ)で、義満の正室業子の姪(めい)。義満の第二夫人、二位殿と称したが、1405年(応永12)7月に業子が死去すると、かわってその正室となる。翌年12月後小松(ごこまつ)天皇生母の通陽門院(三条厳子)が没すると、義満の意向で国母に准じ准三后(じゅさんごう)の宣下を得て北山院と称し、翌年3月盛儀をもって入内(じゅだい)の式を遂げた。北山第の南御所に住し、義満の偏愛した義嗣(よしつぐ)、喝色(かつじき)御所を猶子(ゆうし)として養育したが、義満の死後将軍義持(よしもち)に好遇されず、失意のうちに応永(おうえい)26年11月11日51歳で死去。法号北山院殿雲岳真高禅定尼。[太田順三]
『『北山院御入内記』(『群書類従29輯 雑部』所収)』

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世界大百科事典内の北山院の言及

【女院】より

…なお宣陽門院は八条院とは違い,准母ではなかったが,准后を共通にしている。このように院号宣下の基準がしだいに緩められて,ついに足利義満の妻藤原康子が,皇親でも後宮でもないが准三宮の処遇をうけ,後小松天皇の准母を資格にして,1407年(応永14)3月北山院の院号宣下を被る異例を生じた。以上のごとく女院号宣下にはさまざまな形態を生じたが,資格の点から大別すると,天皇の母后(国母)で后位にある場合,国母でないが后位にある場合,国母でないが准后宣下を被っている内親王の場合,国母であるが出自が低いなどの理由で立后されなかったが,准后宣下を被っている場合の4形式に分けられる。…

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