朝日日本歴史人物事典 「北山院」の解説
北山院
生年:応安2/正平24(1369)
室町時代,足利義満の正室。日野康子の院号。日野資康の娘で,応永初年ごろ室町幕府3代将軍足利義満の妻となる。寝殿,二位殿と称される。応永13(1406)年,後小松天皇の生母通陽門院が死去した際,天皇の准母となった。このことにより義満は天皇の父として,出家後,自らを法皇に擬し,また北山第を営んで仙洞に擬したといわれる。14年康子が院号宣下を受けるにおよんで院司がつけられた。北山院の院号は義満によって選ばれ,同年3月23日には入内始めの儀が華々しく執り行われた。しかし,15年の義満没後,次の将軍義持からは好遇されず,かつての華やかさのない晩年を送り,北山第南御所で没した。死後も国母に准じた扱いはなされず,葬儀も略式で天下触穢も諒闇もなかったという。北山第も処分され,応永28~29年ごろには鹿苑寺(金閣寺)と号するところとなった。<参考文献>臼井信義『足利義満』
(西尾和美)
出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報